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旅客航空輸送案内 東京−大連線 1929(昭4)年 日本航空輸送 211mm×97mm 八つ折 |
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日本の国策エアラインは大陸を目指した 玄界灘を越え朝鮮半島を縦断 日本の航空旅客輸送は大正後半頃から、民間の運営として小規模に始まりました。しかし、朝鮮半島や大陸への足がかりを確固たるものにした当時の日本政府は、1928年(昭3)に「日本航空輸送株式会社」を設立し、航空事業の事実上の一元的運営を図るとともに、東京と大連を結ぶ路線を開設しました。 ここに紹介するのは、その開業当時の案内です。(同社は今日の日本航空とは全く別会社) 現在では想像できない長い旅路 1929年(昭4)の運航開始当時の路線は、東京と大連間を2日間かけて結ぶ長大なものでした。当時は東京に羽田空港はまだ無く、立川の陸軍基地を使用するなど、発着地が現在と異なっている都市もあり、隔世の感です。 表紙には、箱根の険をゆく江戸時代の旅人と、当時の新鋭「フォッカー・3M」機が描かれています。時代がミスマッチした構図ですが、山や海を越え、はるばる目的地を目指す飛行は、あたかも街道をゆく旅と変わらなかったということでしょうか。 同社は、日本の対外進出とともに規模を拡大し、施設や技術・人材の面でも、戦前の航空界の発展に大きな足跡を残しました。そして時局の緊迫とともに、1938年(昭13)に「大日本航空」として改組され、発展的に解消します。 |
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1929年(昭4)に運航開始時の、東京・大連線のスケジュール。 東京から大阪・福岡経由、対馬海峡を渡り朝鮮半島東岸の蔚山(ウルサン)へ。 その後、京城(ソウル)・平壌(ピョンヤン)に寄り、満洲の玄関・大連まで2日もかかりました。 東京・大阪間が現在の新幹線とほぼ同じ所要時間であることは、隔世の感がします。 備考に上海線の運航予定についても触れられていますが、試験飛行のみで、昭和5年には実現しませんでした。 定期運航が開始されるのは、日中戦争以降のことです。 |
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関連項目 民間航空草創期のパイオニア・新聞航空(朝日新聞社 東西定期航空会、1928年) 日満間航空連絡の完成(日本航空輸送、1932年) 地域密着・山陰にはばたいた幻の民間航空会社(日本海航空、1932年) 日本最初の定期航空は関西から(日本航空輸送研究所、1934年−1938年) 日本支配地域の拡大とともに広がる翼(大日本航空、1939年−1941年) 民間航空が担った軍事輸送(大日本航空、1943年) |
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