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Japanese Army Air Transport 1943/10

臨時陸軍軍用定期航空発着時間表
1943(昭18)年10月
490mm×355mm 1枚
民間航空が担った軍事輸送

戦時体制へ組み込まれる民間航空
 1941年(昭16)年も秋になると、国家レベルで日米開戦を視野に入れた計画策定が活発になり、アジア一円に航空路網を拡大していた国策会社・大日本航空もその動きとは無縁ではありませんでした。
 日本軍における航空輸送業務は、有事発生の際に民間会社を徴用するという形で確保されたため、開戦直前に陸軍によって編成された「特設第十三輸送飛行隊」(風九三〇八部隊)には、大日本航空の機材や乗員が多数投入され、太平洋戦争緒戦に南方地域を結ぶ路線の運航を担いました。この部隊はその後、陸軍が南方地域内の航空輸送を確保するために開設した「南方航空輸送部」に発展的解消を遂げています。

南溟の危険な空を翔ぶ

 ここに紹介する資料は、南方航空輸送部とは別に、「陸軍特務航空輸送部」の命によって大日本航空が運航していた(中央下部に、日の丸と翼の大日本航空マークが入っていることに注意)、本土−南方便の時刻表です。日本軍の占領に伴ない、シンガポール(昭南)やジャカルタが路線網に入っていたことがわかります。また、日本の航空勢力の一大拠点であったラバウル(ラバールと表記)にまで、路線が伸びていました。
 搭乗員が開戦前までに培った航法技術は、こうした広大な地域に広がる路線の運航に大いに役に立ったといいますが、悪天候での遭難や敵機との遭遇という危険も数多くあり、「航空輸送の歩み」巻末の殉職者一覧にも『昭18・11・30 ミンダナオ島ダバオ市 陸軍軍用定期 飛行中攻撃され墜落』といった記述が少なからずみられます。

 陸軍の他、海軍も徴用輸送機隊を編成し、西太平洋一円の運航に当たらせました。当然のことながら、こうした航空輸送は軍にコントロールされていたため、喫緊の業務に関わる軍人や貨物の輸送が優先され、誰でも利用できるものではありませんでした。


時刻表の一部を拡大。
『東京ラバール(ラバウル)線、福岡ラバール線ハ関係発着地ト充分連絡ノ上機長ノ判断二依リ発着日時を適宜変更』
という記述が、軍事情勢により不透明かつ危険な南方の空を象徴しています。
戦前日本のオリジナルの旅客機であったMC-20および、97式重爆撃機改造のキ-21輸送機が使われていました。
関連項目

日本の国策エアラインは大陸を目指した(日本航空輸送、1929年)
日本支配地域の拡大とともに広がる翼(大日本航空、1939年−1941年)
傑作飛行艇が結んだ南海の島々(大日本航空、1941年)
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