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Japan Sea Aviation 1932? 大阪⇔城崎 定期航空
1932(昭7)年?
日本海航空
155mm×85mm 二つ折
地域密着・山陰にはばたいた幻の民間航空会社

天橋立を空から見物
 民間航空の草創期、今では考えられないような区間に航空路線が開設されていたことがありました。1931年(昭6)7月、山陰は城崎の地に「日本海航空」という名前の民間航空会社が設立されました。この仕掛け人は城崎町の元町長。いわば町おこしの一環として、当時はまだ世界的にみても興隆途上にあった航空会社をわが町に作ってしまったのでした。
 同社の路線は大阪−城崎間から始まり、やがて松江にも達します。また定期航空の合間には遊覧飛行を行い、風光明媚な山陰の海と山を空から見れるとあって好評を博しました。これらは、三菱MC-1型旅客機にフロートを取り付けて水上機とし、城崎近辺を流れる円山川を飛行場に運航されていました。

 同社は、他の民間航空会社と同じ運命を辿りました。すなわち、航空会社を集約する国の方針として、大戦前に日本航空輸送株式会社に主要路線を召し上げられる形でその屋台骨を失い、消滅したのです。
 なお今日、城崎に程近い「コウノトリ但馬空港」には、同社の旅客機のレプリカが空港ターミナルに展示され、かつてこの地にベンチャー精神あふれる民間航空会社が存在したことを伝えています。
関連項目

民間航空草創期のパイオニア・新聞航空(朝日新聞社 東西定期航空会、1928年)
日本の国策エアラインは大陸を目指した(日本航空輸送、1929年)
日本初・元祖スチュワーデスを乗せた航空会社(東京航空輸送、1931年)
日本最初の定期航空は関西から(日本航空輸送研究所、1934年−1938年)
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