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当時は、各便毎の搭乗者名一覧が新聞に掲載されたようです。 元所有者が、自分の名前が載っている記事を貼っています。 左は搭乗便の操縦士のサイン。(なぜかロシア語) |
空 1928(昭3)年夏 朝日新聞社 東西定期航空会 190mm×132mm 14頁 中と関連資料を見る |
民間航空草創期のパイオニア・新聞航空 航空界の発展への努力 飛行機は、1903年(明36)のライト兄弟の初飛行からわずか10年ほどの後、第一次世界大戦で新たな兵器として発展を遂げ、世界はその可能性を改めて認識します。しかし、当時はまだ発展途上の乗り物であり、その意義を軍部や一般人に浸透させるために、啓蒙活動が必要でした。 大正以降の日本では、新聞社が知名度や宣伝力を生かし、航空思想の普及に大きな役割を果たします。飛行機が飛ぶのを見せる会を催したり、長距離飛行や競技会を行ったりしました。一方、新聞社自身も飛行機を所有し、原稿や写真の空輸による速報に活用することが始まりました。 みずから旅客輸送を経営 中でも朝日新聞社は特にこうした活動に熱心で、「東西定期航空会」という組織を発足させ、定期路線を開始するに至りました。大正末期に郵便貨物輸送からスタートし、1928年(昭3)8月には東京・大阪間と東京・仙台間の旅客輸送がはじまりました。 これは当時の同社の航空案内で、時刻表のほかに上空からの写真がふんだんに挿入され、航空旅行がいかに魅力的なものかを宣伝する内容になっています。 しかし、残念なことに翌年、国策会社の「日本航空輸送」が運航を始め、こうした草分け的存在の民間会社は運航権を手放さざるを得ない状況となってしまいました。それでも朝日新聞社は、のちの「神風」号訪欧飛行など、戦前の航空界に輝かしい成果を残しています。 |
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関連項目 日本の国策エアラインは大陸を目指した(日本航空輸送、1929年) 日本初・元祖スチュワーデスを乗せた航空会社(東京航空輸送、1931年) 地域密着・山陰にはばたいた幻の民間航空会社(日本海航空、1932年) 日本最初の定期航空は関西から(日本航空輸送研究所、1934年−1938年) |
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