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Japan Air Transport 1932/11 日満航空連絡時間表
1932(昭7)年11月
日本航空輸送
155mm×89mm 二つ折
日満間航空連絡の完成

軍用定期航空から一般営業へ
 日本航空輸送の東京・大連線の運航開始により、日本と大陸の玄関口は航空路によって結ばれましたが、1931年(昭6)の満洲事変の発生で、航空路はさらに大陸内部へ拡大することとなります。
 満洲事変の最中から、国策会社である日本航空輸送は軍に徴用され、「関東軍軍用定期航空事務所」として中国東北部の航空輸送を担当しました。当初は軍用便のみの運航だった大陸の翼は、1932年(昭7)9月に満洲航空として会社化され、11月から民間人も搭乗可能な路線の営業が始まります。
 日本航空輸送の便はそれまでも、朝鮮半島北部の新義州で満洲への便に接続(ただし軍用便に)していましたが、これを機に、一般旅客と郵便貨物の継送が開始され、民間航空での日満連絡が完成しました。この時刻表は、まさにその時のものです。

 当時使用されていたのは、単発6人乗りのスーパー・ユニバーサル略してスーパー機という小型機でした。ポストカードのコーナーをご覧下さい。
関連項目

日本の国策エアラインは大陸を目指した(日本航空輸送、1929年)
通学列車と軍用定期航空が伝える満洲の実像(日本旅行協会 大連支部、1934年)
大陸の空を翔んだ国策エアライン(満洲航空、1935年−1939年)
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