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日本支配地域の拡大とともに広がる翼 本格的な国策会社へ変貌を遂げた民間航空 1929年(昭4年)より日本の航空輸送の中心的存在であった、日本航空輸送株式会社は、対外進出を強化するために1938年(昭13)に改組され、「大日本航空株式会社」となりました。 下の時刻表はその翌年のものですが、飛行艇を使用してサイパンやパラオといった南洋群島への長距離路線が運航開始され、早速その設立目的が実現されようとしていることがわかります。 |
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1939(昭14)年4月 175mm×93mm 13頁 |
南洋線の時刻表。海軍の九七式飛行艇の輸送機型が使用されました。 |
路線網はアジア一円へ 次に紹介する時刻表は、太平洋戦争開戦の年・民間航空が一応「民間」のものであった最終期にあたる時期のものです。フランスやオランダといった欧州勢の植民地がほとんどであった当時の東南アジア地域で、日本の勢力を確保する足がかりとしてタイに乗り入れたバンコク線や、日本の「友邦」とされた満洲国の首都と東京を結び、「日満空の特急便」と呼ばれた東京−新京直行線など、当時の日本の対外関係を反映した路線が見られるのが特徴です。 当時としては長距離であるこうした路線が数多く開設されたれた背景には、軍需に後押しされた日本の航空機産業が、日本の航空機として初めて世界一周飛行に成功(1939年・昭14)した「ニッポン号」のように、世界に通用する優秀な機体を数々送り出していたことも挙げられます。 また、戦前の日本はアジアと欧州、特にドイツとの航空連絡の実現に力を注いでいました。同社の前身である日本航空輸送の時代から、中国大陸奥地を経由する「空のシルクロード」ともいうべき路線の開拓が目指されましたが、これは現地情勢の厳しさから実現すること無く終わります。そして、先に紹介した大日本航空の日・タイ空路によって、バンコクで欧州系航空会社の極東線との連絡が可能となり、かろうじてその片鱗が実現したにとどまりました。 太平洋戦争の開戦とともにこれらの路線の運航は軍の管理下に置かれ、さらにネットワークを拡大するとともに、終戦まで重要な輸送手段となりました。 |
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1941(昭16)年4月 382mm×540mm 一枚 左下に、ハノイやサイゴンといったインドシナ半島から、タイのバンコクにかけての路線が表示されています。 右上には東京−新京直行便、右下には南洋方面の路線も見られ、戦争直前の最も拡大した路線網が分かります。 しかし一方では、一時期充実した日本本土内のローカル線は全く姿を消してしまいました。 |
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関連項目 日本の国策エアラインは大陸を目指した(日本航空輸送、1929年) 資源開発と日本の支配を支えた南洋航路(日本郵船、1936年) 傑作飛行艇が結んだ南海の島々(大日本航空、1941年) 民間航空が担った軍事輸送(大日本航空、1943年) |
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