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黄土の大地をゆく鉄路も日本の支配下に

戦乱の中の鉄路
 1937年(昭12)7月、北京郊外で日中戦争が始まって以降の、華北の鉄道時刻表です。いずれも発行は、日本国際観光局(日本旅行協会−現在のJTBの前身−が当時、外地で活動した際の名称)です。
 開戦とともに、それまで中華民国国有鉄道として運行されていた中国大陸の鉄道は一時途絶しましたが、翌年6月には満鉄(南満洲鉄道)北支事務局が開設されるなど、満鉄や日本の鉄道省から派遣された職員によって復旧・運転再開が順次進められました。下左はそうした当時の時刻表で、表紙に描かれた路線図にも、運行中を示す実線と未復旧の白抜き線が混在していることがわかります。

華北交通株式会社
 満鉄によって復旧を終えた華北の鉄道は、1939年(昭14)より満鉄や臨時政府の出資する特殊会社「華北交通」による運営となりました。従業員は日本人と中国人で構成されていたものの、その実質的な内容は日本による支配とも言えます。
 下右の時刻表の巻末には、『(前略)日本の主唱する東亜新秩序建設の大業に対して、この会社が負うべき役割は極めて重大である。事変以来この聖業に携って名誉の殉職を遂げた交通従業員は既に七百名に近い。』といったプロパガンダも掲載されていました。

 上海や南京を中心とする地域は、同様に「華中鉄道」という新会社によって運営され、日本の支配化にありました。下右の時刻表には、華中鉄道線の時刻も掲載されています。

(時刻表の発行年月にリンクがあるものは、内容の一部をご覧になれます。)
Northern China Railway (Under Japanese Occupation) 1938/07

1938(昭13)年7月
194mm×135mm 7つ折
Northern China Railway (Under Japanese Occupation) 1940/12

1940(昭15)年12月
186mm×132mm 26頁


1938年の時刻表より。「快車」「飯車」「臥車」等の中国語が併記されている点が特徴的です。
京山線は、満洲経由で日本と華北を結ぶ際の重要な路線で、この10月からは釜山・北京間の直通急行も登場しました。
関連項目

列強の資本が建設した大陸の鉄路(中華民国国有鉄道、1921年)
大陸への野望と山東半島の鉄路(山東鉄道、1922年)
難産の末に成立した幹線鉄道(中華民国国有鉄道、1934年)
日満支連絡急行が駆け抜けた時代(朝鮮旅行案内社、1940年)
日中戦争時代の華中の鉄路(華中鉄道、1941年)
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