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kachu Railway 1941/09 火車時刻表
1941(昭16)年9月
華中鉄道
142mm×74mm 八つ折
日中戦争時代の華中の鉄路

破壊から再生へ
 北京発上海ゆき国際連絡特急列車−萬国寝台会社(ワゴン・リ)の寝台車を連結−が走り抜けたこともある中国大陸の鉄道は、1937年(昭12)7月の日中戦争開戦によって大きく破壊され、運行途絶状態となります。しかし、鉄道は作戦遂行上重要な生命線であり、大陸中部・南部の戦闘が続く一方、日本軍は、日本から動員された鉄道技術者とともに線路や車両の復旧作業を進めました。
 復旧された鉄道は軍の輸送に使用されましたが、やがて上海を中心とした地域の鉄道は、日本軍による管理の下、便乗扱いながら一般旅客の取り扱いも開始。そして1939年(昭14)4月、中華民国維新政府の国策会社という位置付けで、華中鉄道股※有限公司(※は人べんに分。日本で「華中鉄道株式会社」と称することも)が設立され、本格的に民間の利用に供されるようになりました。
 かつてのような国際連絡の色彩は薄れましたが、当時の中華民国(新国民政府)の首都・南京と経済の中心地・上海の間には特急「飛龍」「天馬」が運行され、時刻表上からは、ほんの数年前に激戦地となった歴史は片鱗も窺えません。

 北京を中心とした地域では、「華北交通株式会社」が設立されました。以降終戦まで、大陸の鉄道は、「華北交通」「華中鉄道」の2社によって運営されることとなります。しかし、抗日の動きも強かったせいか、満洲の鉄道に比べてあまり大きな路線網の発展はみられず、1949年(昭24)の新中国成立まで、ほぼ同じ状態が続きました。


時刻は日本時間で表記され、食堂車や寝台車マークも当時日本で使われていたのものが使用されていました。
裏表紙のタバコの広告には富士山が描かれ、その脇にはゲリラを牽制するかのような「鉄道愛護」の標語。
各種案内は中国語併記ながら、全体的に日本色の強い点に注目。
関連項目

列強の資本が建設した大陸の鉄路(中華民国国有鉄道、1921年)
大陸への野望と山東半島の鉄路(山東鉄道、1922年)
難産の末に成立した幹線鉄道(中華民国国有鉄道、1934年)
黄土の大地をゆく鉄路も日本の支配下に(日本国際観光局、1938年−1940年)
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