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中華国有鉄路 津浦綫 袖珍時刻表 1934(昭9)年7月 中華民国国有鉄道 257mm×110mm 5折 |
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難産の末に成立した幹線鉄道 列強諸国のまなざしの中から誕生 津浦線とは天津を起点とし、揚子江を挟んで南京と相対する浦口(プーコウ)を結ぶ路線です。黄河を越えて中国の中央部を縦断する主要な路線の一つですが、その成立過程には、各国の思惑が渦巻く紆余曲折があったといいます。戦前の旅行案内からその経過を簡単に拾うと、以下のようなものです。 「日清戦争後、諸外国は大陸での権益拡大を狙い、清国も自国を強化する方策を考えていた。ある在米華僑は山東におけるドイツの権利を牽制しようと考えてこの鉄道建設を計画し、英国に協力を求めた。これには、ドイツなど周辺に権益を持つ諸国から抗議が出され、北半分をドイツ・南半分を英国が建設する妥協が成り、両国からの借款を得て1913年に全線が完成した。」 日中戦争の激戦地に この時刻表の頃は中華国有鉄道として運営されていた末期で、北平(北京)・上海間を始めとする直通3往復の他、区間列車4往復が走っていました。沿線には泰山などの名所を抱え、そうした観光地への案内も掲載されています。 津浦線の波乱は続き、この時刻表のわずか3年後、徐州をはじめとする沿線は、日中戦争に巻き込まれます。破壊された施設は翌年には復旧し、当時大陸における鉄道の運営を握った日本の国策会社である、華北交通・華中鉄道の手で運行されるという歴史を辿ることとなりました。 時刻表題名の「袖珍」とは、「ポケット」を意味します。実際はポケットに入るサイズではありませんが・・・ |
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