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列車時刻表 1922(大11)年3月 山東鉄道 165mm×80mm 4折 |
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大陸への野望と山東半島の鉄路 ドイツ−日本−中国 19世紀から20世紀前半にかけて、中国大陸をめぐる列強諸国の権益争いが激化します。その波を大きく受けたのが、港湾都市・青島(チンタオ)を擁する山東半島でした。ドイツ、第一次大戦を経て日本、そして中国への返還という、その緊迫の変遷をご覧下さい。 1897年(明30) 山東の暴動で2人のドイツ人宣教師が殺害され、ドイツ軍が膠州湾を占領。 1898年(明31) ドイツは99ヶ年の期限で膠州湾を租借する条約を中国と締結。 1904年(明37) ドイツ資本により、青島−済南間に、山東鉄道(膠済鉄路)完成。 1914年(大 3) 8月15日、日本政府はドイツに対し、膠州湾租借地を要求する期限付き最後通告。 9月2日、日本軍は山東省青島のドイツ要塞攻撃を名目に山東省竜口に上陸を開始。 11月7日、日本軍は青島・膠州湾を占領。 1915年(大 4) 1月18日、日本政府は袁世凱大総統に対し、二十一ケ条より成る要求を突きつけた。 6月8日、「山東省ニ関スル条約」公布。 1919年(大 8) 1月、パリ講和会議。専管居留地化を前提とした日本の山東半島返還案は認められず。 3月、朝鮮で三・一独立運動。5月、中国で五・四運動。(民族運動の激化) 1922年(大11) 2月、ワシントン会議により、日本は山東利権を手放す事が決定。 12月10日正午、山東半島の行政権が日本から中華民国へ移転。 日本は他国の了承が得られなかったこともあって山東半島を失いましたが、華北への侵攻は、その15年後、日中戦争という形で繰り返されることとなります。 山東半島には、青島から内陸の済南間に山東鉄道と呼ばれる鉄道が敷設されましたが、その管理者も同様の変遷を辿りました。ここに紹介する時刻表は、日本が山東半島を中国へ返還することが決定した年の、同鉄道の時刻表です。 山東鉄道は、日本が山東半島の権益を手放した翌年、1923年(大12)1月一杯で中国側への引継ぎが完了されました。 |
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全線直通列車が3往復、区間列車が2往復運転されていたことがわかります。 旅客案内の項には、『日本向け定期航路出帆日に、青島駅から埠頭まで臨時列車を運行』との記述もありました。 なお本文は、日本語と中国語の併記です。 |
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日中戦争の前年に、青島の旅館が発行した時刻表。 内部は当時の中国の鉄道時刻表をコピーしたもの。 |
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関連項目 列強の資本が建設した大陸の鉄路(中華民国国有鉄道、1921年) 難産の末に成立した幹線鉄道(中華民国国有鉄道、1934年) 黄土の大地をゆく鉄路も日本の支配下に(日本国際観光局、1938年−1940年) 日中戦争時代の華中の鉄路(華中鉄道、1941年) |
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