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大陸の空を翔んだ国策エアライン

旅客輸送にとどまらない活動
 満洲航空、略して「満航」は、満洲事変期の関東軍による軍用航空輸送を目的とした組織を母体に、1932年(昭7)に設立されました。しかし、その生い立ちからも明らかなように、単なる営利目的の民間会社ではなく平時・有事の軍事輸送や、測量・各種調査から飛行機の製造までを行う特殊な企業でした。

厳しい条件の下での運航
 路線は、営業本線と呼ばれた大連−奉天−新京−ハルビンを結ぶ幹線を柱に、ソ連・満洲国境地域の辺境の町を一つ一つ回っていくものが数多くありました。(下に掲げた、路線図タイプの時刻表からも、その複雑な路線網が分かります。)
 しかしその裏には、貧弱な設備や地理的・気候的に厳しい条件、いつ起こるとも限らない軍事的衝突といった状況の中で運航に携わった人々の、大変な苦労や努力もあった様です。

 同社は大戦直前には、新京−東京直行「日満空の特急便」の運航を開始するまでに至りましたが、他の外地企業と同様、日本の敗戦とともに消滅の道を辿りました。
Manchuria Aviation 1935?

1935(昭10)年?
213mm×98mm 四つ折


日満間の連絡時刻が掲載されています。
Manchuria Aviation 1937/05

1937(昭12)年5月
187mm×88mm 三つ折


表紙は、この頃に就航した新鋭機・中島ATです。
Manchuria Aviation 1939/04

1939(昭14)年4月
454mm×314mm 一枚


右上の注意書きには、「大連−佳木斯間はユンカース十人乗大型旅客機就航」と書かれています。
当時、ドイツからユンカースJu-86型機が輸入され、満洲の空で活躍しました。
関連項目

日満間航空連絡の完成(日本航空輸送、1932年)
通学列車と軍用定期航空が伝える満洲の実像(日本旅行協会 大連支部、1934年)
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