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満洲・ソ連国境のフロンティアへは、航空路線が伸びていました。しかし、当初は軍が最優先であり、余裕がある場合にのみ、一般客を乗せていました。 上左は、満州国建国直後の1932年(昭7)8月の時刻表より。日本航空輸送が徴用され、「関東軍軍用定期航空事務所」が軍事輸送を担っていました。『飛行場未完成の為当分内離着陸せず』との注記がある通り、急ピッチで飛行場が造成されていた慌しい様子がうかがえます。 そして同年秋に満洲航空が設立され、上右の1934年(昭9)5月の時刻表の頃には、引き続き同社が「軍用定期航空」の運航を続けていました。こうした路線が、日本の支配力を背後で支えていたのです。 |
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この頃、機関車牽引の客車列車のほかに、小回りのきくディーゼルカーが運転されるようになりました。日本からも多くの人々が移り住み、満鉄沿線の人口が増加すると、通勤や通学のために列車の増発が求められたためです。上は、そうした小運転列車だけを抜き出した表です。 | |
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