ポストカード(空の旅今昔)
 今日では移動の足として欠かせない存在になっている航空機ですが、20世紀における急速な発展の足跡を、ポストカードから拾い出してみます。
 1929年(昭4)、日本における本格的な旅客定期航空の初期を担った機種のひとつは、このように小さなものでした。「フォッカー・スーパー・ユニバーサル」と呼ばれるこの機の定員は、わずか6人です。もとはオランダ製の機種をアメリカで改良したものですが、日本で使用された機体の中には、当時の代表的な航空機メーカーである中島飛行機によってライセンス生産されたものもあり、当時の関係者の期待と評価の高さがうかがえます。

 なお、この絵葉書は満洲に路線を広げていた満洲航空が発行したものです。同機は日本だけでなく、満洲でも「満航式一型」として現地生産され、戦前・戦中を通じて辺地への輸送や、時には軍事行動に長く使われました。
 座席上の棚についた扇風機が一昔前の列車の車内を思わせる風景ですが、日本航空が発行した、ダグラスDC-4型機の機内の絵葉書です。同機は、昭和30年代を通じて、国内線の主力として活躍していました。
 しかし、閉め切った機内のこと、扇風機があっても真夏の地上ではどれほど役に立ったことやら・・・。

(ちなみにこの絵葉書には、「ゆったりとした座席、上品な機内装飾は、一流ホテルのロビーにいるような感じがします」という説明が添えられています。現在の感覚からすると隔世の感。)
 昭和30年代の東京国際空港(羽田空港)の絵葉書です。これは、今日のターミナル「ビッグバード」の反対側にあった、先代のターミナルビルで撮影されています。ハイジャックやテロといった物騒な事件がなかった時代、送迎デッキと駐機場の距離はこれだけ近いものでした。

 駐機しているのは、2機のパン・アメリカン航空機。時代はプロペラからジェットへの過渡期でした。左には「空飛ぶホテル」とも呼ばれた"ストラトクルーザー"4発プロペラ機、右には当時最新鋭のジェット機であったボーイング707が、一緒に写っています。(ボーイング707は、1959年(昭34)9月から羽田に乗り入れを開始しました。一方、"ストラト・クルーザー"は翌年に引退したので、この写真はその頃撮影されたものでしょう。)

 ※羽田空港については、「企画展」で特集を設けています。
 これは、1974年(昭49)の「トライスター」登場時に全日空が発行した絵葉書です。乗客に配られる搭乗記念の絵葉書は、機体だけの写真が多いのですが、ここにはクルーやメカニックといった人達も写っています。
(おそらく、カリフォルニアのロッキード社の工場で、宣伝用に撮影された写真が使われていると思われます。)

 本機導入とともに一新され、「トライスター・ルック」とも呼ばれたスチュワーデスの制服に注目。パンタロンが当時のファッションを象徴しています。
 時代は石油危機後の低成長時代を迎えていましたが、日本航空と競争を続け、ついにワイドボディーの大型機を手にした全日空の心意気が伝わってくるような、私の好きな一枚です。
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