「時刻表歴史館」ホーム > 戦前黄金時代 > 朝日新聞社 東西定期航空会(1928) > 時刻表内容
 左上は、パンフレットの冒頭に書かれた一文。飛行に関して、一般に思われる漠然とした不安を打ち消すような文章です。こうしたことをまず説明しなければならなかったとは、現在と隔世の感がします。

 写真は、当時同社が使った代表機である「ドルニエ・コメット」旅客機。このパンフレットでは、乗客4人乗りと書かれています。


 左下は、当時の航空券。この資料の元所有者は、昭和3年10月29日に大阪から東京まで搭乗したようです。「機体機番号」には「コメット・朝日101号」と書かれています。

 右側には時刻表が掲載され、大阪は大阪練兵場、東京は立川飛行場が使われていたことが分かります。所要時間は、せいぜい現在の新幹線と同じくらいでした。飛行場と市内の朝日新聞社間は車で送迎がありました。

 なお、先に紹介したパンフレット表紙に貼られた新聞記事によると、この日の東京行きは乗客4名で、午前9時大阪発・午前11時50分東京着となっています。クルーは、熊野操縦士と近藤機関士のコンビ。

 ちなみに、反対の東京発の便の機関士は塚越氏。おそらく、のちに「神風」号での訪欧飛行に参加したその人だと思われます。
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