40年の長きにわたり、日本のみならず海外の空を飛びつづけた国産旅客機YS-11は今、終焉を迎えようとしています。かつてはその活躍とは裏腹に、プロジェクトの核心について語られる機会が少ない時代が続きましたが、各種文献の刊行やNHK某番組の放送など、ようやく光が当てられるようになりました。 このコーナーでは、館長所蔵の各種資料から、YS-11の姿を記録してみたいと思います。なお、「時刻表歴史館」本館では次のような資料を展示していますので、併せてご参照ください。 時刻表にみる国産旅客機YS-11の登場 時刻表にみる日本国内航空の深夜便 沖縄の空は日の丸の翼で 時刻表にみる大韓航空の草創期 対馬海峡を翔んだ国産旅客機・YS-11 |
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1.YS-11概要リーフレット | |
1959年(昭34)に、日本航空機製造(株)が発行したYS-11の概要リーフレット。この年、「YS」の名の由来となった(財)輸送機設計研究協会は国産中型輸送機の基本設計を完了し、その製造段階を引き継ぐべく設立されたのが同社である。どのような場面で配布されたものかは分からないが、紙面を斜めに使った構成や折畳み方がモダンな印象を与える。 もちろん、機体の全体形状は後の実物と大体同じであるが、当時の段階では、胴体長が50センチ程度短く、直径が40センチ程度太いため、最終的な細っそりとしたプロポーションと比較するとやや寸胴な感じである。 |
2.初飛行を報じる『新三菱ニュース』 | |
YS-11の初飛行は、1962年(昭37)8月30日に行われた。試作第一号機は早朝7時21分に名古屋・小牧空港を離陸し、伊勢湾上空で1時間程度の試験飛行を行った。 これは、試作機の製造以来、YS-11の生産ラインが置かれた三菱重工(当時の社名は合併前の「新三菱重工」)が発行していた広報誌から、YS-11初飛行の模様を伝える1962年11月号である。縦46センチ×横25センチの大判グラフ誌だけに、その巨大なプロペラをとらえた表紙写真は圧巻である。(この試作第一号機は、成田にある航空科学博物館で展示されている。) ちなみに他にも、「全日本自動車ショウ」の模様や、大型タンカー・新型機関車の紹介が目白押しで、重工業全盛の高度経済成長期を象徴する内容となっていた。 |
3.ポストカード | |
日本航空機製造(株)が発行した、YS-11試作第1号機のポストカード。発行年は不明であるが、おそらく1960年代中頃か? この写真自体は各種書籍や雑誌によく取り上げられるもので、名古屋港の近辺と思われる上空を飛行している姿である。 私はこのポストカードをアルゼンチンの古物業者から入手した。アルゼンチン航空が一時期YS-11を使用した経歴があり、その関係で現地の関係者の手に渡ったものではないかと思う。 |
4.プレス発表資料 | |
日本航空機製造(株)の封筒に入ったプレスキット。内容は、上の画像にあるリーフレットと、『国産中型輸送機YS-11』と題された小冊子、試作機のモノクロ写真2枚で、1964年(昭39)初め頃のものと思われる。 当時、YS-11は運輸省航空局の型式証明取得に向けて各種改修が加えられていたが、リーフレットには改修前の諸元が掲載されているため、別紙が挟みこまれ『こちらをご覧下さい』となっている。 最終的に型式証明が交付されたのは、1964年8月のことであった。ここにYS-11は、民間輸送機として公式に完成したのである。 |
5.公式カタログ | |
メーカーである日本航空機製造(株)が発行した、航空会社向けのカタログ。内容は全て英文で、第一部として全体概要、第二部として各種性能表が紹介されている。ほとんどが専門的なグラフや表で構成されており、特に第二部は素人にはどこがどう良いのかはっきり分からないのが残念である。上には、比較的ビジュアルで理解しやすいページを紹介した。 なお、YS-11というと定員60席ないしは64席というイメージがあるが、当時のカタログには52席(つまり座席間隔が広い)という座席配置図も掲載されている。体格の良い外国人が乗客となる、海外エアラインへのアピールを狙ったものであろうか? |
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6.YS-11ジェット化計画 | |
YS-11の開発ストーリーには1970年前後の一時期、続編があった。YS-11ジェット化計画−「YS-11J」である。これは、日本航空機製造(株)が航空会社への売り込み用に作ったカタログである。 上右の完成イメージの通り、YS-11のプロペラ部分をジェットエンジンに換装し、垂直尾翼などを改修して短距離ジェット機に衣替えしようというものであった。普通、ジェット機は胴体に対して斜めに取り付いた「後退翼」と呼ばれる翼の形状をしているものであるが、三面図を見る限りではYS-11そのものの長い直線翼(胴体に対して垂直の角度で取り付く)のままであり、奇異な感じを受ける。 当時、コミューター航空(ローカル小需要路線)の運航は欧米で盛んになりつつあったが、小型ジェット機が使用されるような時代はまだ先のことであり、『帯に短し、たすきに長し』的なこのプランは結局、実現することなく終わってしまった。 |
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