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時刻表 1969(昭44)年3月 日本国内航空 133mm×83mm 六つ折 企画展「YS-11博品館」を見る |
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星空を翔けたミッドナイト・フライト 会社生き残りの糧から浪漫飛行へ 今日では信じられないことですが、プロペラ機全盛時代の日本の夜空では、航空機の深夜便が高度成長期の人・モノの往来を支えていました。 深夜便は1953年(昭28)、今日の全日空のルーツである2つの航空会社による、東京・大阪間の郵便貨物専用便の運航に始まります。まだ創業間もない2社の収入を支える貴重な柱だったといいます。 昭和30年代には、日航が東京と福岡・札幌に旅客深夜便を飛ばし、「ムーンライト」「オーロラ」というロマンチックな愛称で親しまれました。 騒音公害の高まりの中での最盛期 その後日航の深夜便は日本国内航空(今日のJASの前身)に移管され、ここに紹介した同社の時刻表の時代に最盛期を迎えます。騒音公害が問題となっていましたが、プロペラのYS-11を使用することで夜間離着陸禁止の対象外として、一日5往復も運航されていました。 旅客だけでなく、郵便の速達化に伴い、郵政省のチャーターによる郵便専用の深夜便も、国内3社が運航していました。 しかし、航空機の大型化と便数増大による搭載力の向上や、夜間離着陸の完全禁止により、深夜便はその活躍の場を失っていきます。そして1974年(昭49)秋、東亜国内航空による福岡便を最後に消滅しました。 |
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当時4往復の深夜便には愛称がついていました。 東京・札幌間「オーロラ」 大阪・東京・札幌間「ポールスター」 東京・大阪・福岡間「ムーンライト」 東京・福岡間「第二ムーンライト」 これは3月の時刻表ですが、4月からは東京・大阪間にもう1往復が追加され、5往復態勢になります。 深夜便は日本を代表する国産機・YS-11で運航されていました。 真夜中の便にどうやって乗れたのか不思議ですが、接続バスが市内営業所から空港を結んでいたようです。 |
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関連項目 水陸両用機が活躍した地方エアライン(日東航空、1961年) 国産旅客機YS-11、空へ(日本国内航空、1965年) |
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