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時刻表 1965(昭40)年5月 日本国内航空 182mm×75mm 四つ折 企画展「YS-11博品館」を見る |
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国産旅客機YS-11、空へ よみがえった日本の航空技術 敗戦後、再び航空産業の活動が許された日本が取り組んだのは、国産旅客機の開発でした。戦前の優秀な設計者が結集し、昭和30年代を通じての開発の後、送り出されたのが、名機「YS-11」です。 YS-11は1962年(昭37)に初飛行の後、1965年(昭40)4月1日より、日本国内航空の東京・高知線(徳島経由)に初就航しました。この時刻表は就航翌月のもので、初めて表紙にその勇姿が描かれました。 表紙には「YS-11 聖火号」という宣伝文句が見えます。同社が最初にリースして導入した機体は、試験中であった前年に東京オリンピックの聖火空輸に使用された経歴から、「聖火」号という愛称が付けられました。 ローカル線の発展に貢献 1965年にYS-11は日本国内航空の他、東亜航空や全日空でも就航を開始しました。短い滑走路で離着陸が可能であることや、比較的乗客数が多かったことが幸いし、昭和40年代から50年代にかけて、まだジェット化の進んでいなかった地方路線で大活躍しました。一部は海外にも輸出されています。 しかし、性能こそ一流であったYS-11ですが、商業面も含めて総合的にみたプロジェクトとしては、その後継続的に発展するものが得られないまま終わってしまったのが惜しまれる点です。 |
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日本国内航空は、北日本航空・日東航空・富士航空といった、ローカル3社が統合して設立されました。 当初は旧3社の古い機材をそのまま使用していましたが、YS-11の就航を期に近代化と統一化が図られていきました。 |
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関連項目 水陸両用機が活躍した地方エアライン(日東航空、1961年) 星空を翔けたミッドナイト・フライト(日本国内航空、1969年) |
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