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南西航空時刻表 1971(昭46)年9月 南西航空 135mm×70mm 5つ折 |
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沖縄の空は日の丸の翼で アメリカに左右された戦後沖縄の航空活動 沖縄では昭和30年代以降、那覇と先島(宮古や石垣)を結ぶ島内航空路線が運航され、外国チャーター機を使用しての苦しい経営ながらも、地元資本によって着々と実績が築かれつつありました。 しかし、当時の沖縄の民間航空事業に関しては、明確な方針や規定がないまま米国民政府などの管理下に置かれていたこともあり、外資の導入に関する件を発端に、突然、地元資本による運航が継続できなくなるなどの問題も生じていました。これでは、島民の福利を追求した運航の面で不安があることから、沖縄における民間航空の運営環境の整備、そして、本土復帰運動の精神とも相まっての日本・地元側主体による本格的な航空事業の確立が求められたわけです。 離島を結ぶ命綱 1967年(昭42)7月1日、その願いは遂に実現しました。日本航空の支援を受けた南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)が運航を開始。翌年には、日本の誇る国産旅客機・YS-11が導入され、当時はまだ米国統治時代ながら、尾翼に描かれた日の丸とともに、日本の翼の登場を一層実感させました。 ここに紹介するのは、本土復帰前年の時刻表。画像の右半分にみえる旅客運賃表はまだドル表記ですが、同社は、当時、徐々に整備の進んでいた離島の空港を結び、「離島苦」の緩和に大きな役割を果たしました。 南西航空の次なる願いは、本土乗り入れでした。時刻表の表紙にも『鹿児島線申請中』と書かれていることがわかります。しかし、これは諸般の事情から実現せず、悲願が果たされるのは実に15年後のことです。 |
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同社のYS-11型機には、「ゆうな」「あだん」「ばしょう」など、沖縄を代表する植物名の愛称が付けられていました。 離島を支えた同機も、1999年(平11)の与那国空港ジェット化により、引退となりました。 |
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関連項目 オキナワの長い戦後(琉球海運、1956年-1968年) |
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