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「漢江の奇跡」−経済発展へ進む朝の国

 今日では世界的規模に成長した大韓航空は、当初は非常に小規模な会社でした。特に、国営企業であった1960年台中頃は経営に行き詰まり、国際線は日本向け3路線だけが運航されていました。しかし、1969年(昭44)に「韓進(ハンジン)グループ」が引継いで民営化されて以来、積極的な経営拡大方針がとられていきます。

動乱から立ち直った半島
 下左の時刻表は、民営化からしばらく経過した時期の旅客便の時刻表です。従来からの日本路線のほか、当時韓国が軍を派遣していたベトナムを始め、東南アジア各国への路線展開がみられます。
 巻頭の1ページには、『まだ俗化されていない、静かな朝の国をどうぞお訪ねください』という趣旨の宣伝文が掲載されていました。動乱の後遺症から脱し、1965年(昭40)の日韓国交正常化などを経て国際交流を通じて経済発展を遂げていく過程が垣間見えるような一文です。

経済発展とともに登場した貨物専用便
 下右のものは、1971年(昭46)4月より開始された、ソウル発東京経由ロサンゼルス行き貨物専用便の時刻表です。この路線は、同区間の旅客便運航に先駆けて就航開始したもので、大韓航空初の北米進出となりました。
 1962年(昭37)に始まる、第1次・第2次の経済開発5ヶ年計画を経て韓国は工業化が進み、日本やアメリカへ電子部品など工業製品の輸出が急増していましたが、貨物専用便の就航はまさにそうした状況の反映であり、「漢江の奇跡」と呼ばれた高度経済成長を支えた影の立役者でもありました。
KOREAN AIR LINES 1970/10

1970(昭45)年10月
248mm×93mm 15頁
KOREAN AIR LINES (CARGO) 1971/11

1971(昭46)年11月
238mm×180mm 三つ折
上左:旅客便の時刻表
 民営化直前は、東京・大阪・福岡への各一往復が全てだった国際線も、アジア各国へ大幅に拡大しています。右端に見える、済州島・大阪便(釜山経由)には、日本製のYS-11型機が就航していました。同機が国際線に使用されるのは珍しい例です。

上右:貨物便の時刻表
 表紙には、当時使用されたボーイング707貨物機への貨物搭載作業風景が大きく取り上げられ、この太平洋横断直行貨物便に対する力の入れ具合を象徴しているようです。
関連項目

「鉄馬は走りたい」−分断された朝鮮半島(大韓旅行社、大韓民国交通部、交通教養助成会、1956年−1969年)
撃墜−サハリン沖に消えた大韓機(大韓航空、1983年)
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