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定期航空御案内 1954(昭29)年春? 日本ヘリコプター輸送 180mm×90mm 三つ折 全日空関係の時刻表については、時刻表ギャラリーもご覧下さい。 |
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民間航空再開と全日空のルーツの設立 戦後の民間航空解禁とともに誕生 戦後、アメリカは日本国内の航空事業を一切禁止しました。しかし朝鮮戦争等、対外情勢の変化に伴い、航空に対する重要性への認識から、民間航空が再開されることとなりました。 再開を待ちわびていた戦前の航空関係者により、いくつかの航空会社が出願されました。その一つが、「日本ヘリコプター輸送」−略称「日ペリ」で、1952年(昭27)12月に創立しました。 後発組の心意気 同社はその名の通り、最初はヘリコプターでの宣伝飛行という小規模な事業から始まりました。(それでも当時ヘリコプターはまだ現在のように普及しておらず、同社は日本におけるパイオニア。) しかし、間もなく飛行機を購入し、東京・大阪間の旅客輸送が1954年(昭29)2月から始まりました。 この資料は、就航路線等の記述内容から、3月頃の発行ではないかと思われます。 中央の「正確なダイヤ!」という宣伝は、先発会社の日航が遅延や欠航で有名であったことに対する、日ペリの心意気を象徴しているようです。同社は1958年(昭33)に西日本路線中心の極東航空と合併し、全日本空輸となります。 |
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旅客輸送開始直後は、わずかに東京・名古屋間と東京・大阪間(名古屋経由)がそれぞれ一往復ずつあるだけでした。 使用機は、元々は国内線開設をもくろんでいた日航が購入したデ・ハビランド・ヘロン旅客機でした。(表紙参照) 驚くべきことに、所要時間は今日の新幹線とあまり変わりません。 運賃は、当時の日航に比べると割安でしたが、それでも相当な高額だったようです。 |
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関連項目 関西民間航空界の復活(極東航空、1956年) 夢のジェット機・ボーイング727が国内線に就航(全日本空輸、1964年−1966年) 大量輸送時代を築いた「疑惑の」トライスター登場(全日本空輸、1974年) |
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