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夢のジェット機・ボーイング727が全日空国内線に就航 日航vs全日空 昭和30年台の国内航空界は、日航と全日空との間で新機種の導入競争が続いてきました。その最終ラウンド・国内線用ジェット機の本格導入では、行政の指導で、両社が同一の機種としてボーイング727を採用することが決定されました。 ボーイング727は当時最新鋭の短距離ジェット旅客機で、尾部に3発のエンジンをまとめ、T字型の尾翼を持った独特のスタイルで知られています。 電撃の国内初就航 全日空は、当時日航が東京−札幌間に飛ばしていたジェット便に対抗すべく、秘策を打ち出します。自社発注機の入手前に、アメリカからチャーターしたボーイング727を、1964年(昭39)5月に札幌線に導入したのです。これはまさにその当時の時刻表です。 ボーイング727は「夢のジェット機」としてイメージソングが作られるなど、積極的に宣伝され、高度経済成長期の航空界・旅行界の象徴となりました。 この号を含め、全日空の時刻表の表紙は長らく、漫画家のおおば比呂司氏が独特なイラストを描いていました。 |
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1964(昭39)年5月 185mm×78mm 四つ折 |
全日空の時刻表に初めてあらわれたボーイング727のスケジュール。 「BOEING」と表示された青字の時刻が、ボーイング727就航便。 当初は、一機で東京・札幌間を一日3往復の運航だったことがわかります。 |
受難の主役にも ボーイング727の導入は順調に進みました。日航と全日空の幹線を行き交い、同機の高性能による都市間飛行の最短記録が作られました。下の1966年(昭41)の幕開けを飾る時刻表には、年始の挨拶として同機があしらわれ、午歳にかけて自社をペガサスに例えて明るい前途を謳いあげています。 しかし、悪夢は突然訪れました。翌月早々、札幌発東京行きの全日空ボーイング727が東京湾に墜落。乗員乗客133人全員死亡の惨事となりました。事故原因は不明に終わりましたが、ジェット時代における航空界の安全に目を向けさせる契機となりました。 |
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1966(昭41)年1月 152mm×75mm 八つ折 |
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関連項目 民間航空再開と全日空のルーツの設立(日本ヘリコプター輸送、1954年) 関西民間航空界の復活(極東航空、1956年) 新機材導入競争・日本の国内航空もジェット化へ(全日本空輸、1960年 日本航空、1961年) 大量輸送時代を築いた「疑惑の」トライスター登場(全日本空輸、1974年) |
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