「時刻表歴史館」ホーム > 大戦−そして復興 > 日本郵船(1939) > 時刻表内容
NYK 1939/12 配船表
1939(昭14)年12月
日本郵船
338mm×586mm 一枚


拡大画像を見る
戦雲に覆われる日本の海外定期航路

「照国丸」触雷と欧州航路の終焉
 1939年(昭14)9月に第2次世界大戦が始まると、各社の欧州航路は大きな影響を受けました。日本郵船も、ここに紹介する同年12月6日発行の配船表(各船の運行日程や乗組員名を記載した公報)を見ると、日本からの往航はインド洋回りの通常ルートながら、復航は大西洋を横断し、パナマ運河から太平洋経由で日本に戻る変則ルートを取るようになっています。
 この頃、第2次大戦での日本商船初の犠牲が発生しました。神戸発9月29日の「照国丸」は、ロンドン到着目前の11月21日、機雷に触れて沈没。この配船表には、乗組員欄が空白となり、ロンドン到着日の記載のないスケジュールが、最後の航海の形見として残っています。

 犠牲者は皆無でしたが、この事故後、欧州航路の終着地はロンドンからリバプール(「季浦」と表記)に変更となりました。大戦中もしばらく運航が続いた欧州航路は、戦争激化に伴って1940年(昭15)秋に運休となります。

「浅間丸」事件
 この配船表には、もう一つ運命の航海が掲載されています。サンフランシスコ発の「浅間丸」第55次復航です。まさに横浜入港という1940年1月21日、房総半島沖で英駆逐艦に臨検を受け、英国の敵国であるドイツ人乗客の一部が連行される事件が発生しました。時局柄、英国への反発や船長の対応を巡る感情的な批判で、世間は騒然となりました。
関連項目

ロンドン−横浜1ヶ月半・欧州航路の旅(日本郵船、1926年)
名船「浅間丸」誕生(日本郵船、1929年)
豪華客船が東洋諸港を結んだ最後の夏(日本郵船、1940年)
太平洋によみがえった「氷川丸」(日本郵船、1957年)
(目次に戻る) (サイトのトップへ)
(C) Copyright tt-museum 2001-2004. All rights reserved.