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 左は欧州航路の一部分を拡大編集。右から2列目が、「照国丸」最後の航海である第25次航です。
 なお、画像では割愛されていますが、日本に向かう復航便の多くは、大西洋を横断してパナマ運河経由で帰国するという変則コースをとっていました。

 右の画像は太平洋航路の一部を編集。
 「浅間丸事件」の舞台となった、桑港(サンフランシスコ)1940年(昭15)1月4日発・横浜19日着予定の、「浅間丸」第55次復航の航海予定が見られます。実際には途中悪天候のため、2日遅れの1月21日に横浜入港となり、まさにその日に事件に遭遇しました。

 後日、連行された乗客の一部解放で事件は一応落着しましたが、この配船表の乗員欄に見える渡部船長は責任をとる形で「浅間丸」から去りました。前回の第54次復航の横浜着の後に着任したばかりであったため、事件のあった第55次航が奇しくも「浅間丸」を率いた最初にして最後の太平洋横断になったといいます。
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