「時刻表歴史館」ホーム > 大陸・南洋へ > 大日本航空(1941)
Dai Nippon Koku 1941/04 南洋島内線 發着時間表
1941(昭16)年4月
大日本航空
189mm×265mm 1枚
傑作飛行艇が結んだ南海の島々

日本の航空技術の成果
 南洋群島内の交通は、航空機の性能向上につれ、航空路の開拓も進みました。使用機種は、海軍の九七式飛行艇の輸送用タイプでした。この飛行艇は優秀な性能を誇り、その技術は後の二式飛行艇(世界的にも当時の最高傑作といわれる名機。一機が鹿屋で保存)につながっています。

国策会社の手による運航
 南洋群島内を結ぶ定期路線は、1941年(昭16)1月から、当時の日本の国策航空会社であった「大日本航空」によって開始されました。これは、現地での配布用なのか、手書き・ガリ版刷りの簡単な時刻表です。

 パラオからサイパンへ寄ったのち、ヤルートまでを往復するルートが、月に2回・10日程かけて運航されていました。サイパンへの分岐点であるトラック島は、太平洋戦争中は連合艦隊の根拠地になった軍事上の要所でした。


大日本航空が当時発行した、南洋線のための案内パンフレット。
1942年(昭17)には、南洋の航空路線開拓に奮闘する民間航空会社の人々を描いた映画「南海の花束」が制作された。
大日本航空が全面協力し、この表紙にも見られる川西式飛行艇の雄姿が映画の後半に多数登場する。【筆者所蔵】
関連項目

資源開発と日本の支配を支えた南洋航路(日本郵船、1936年)
日本支配地域の拡大とともに広がる翼(大日本航空、1939年−1941年)
民間航空が担った軍事輸送(大日本航空、1943年)
(目次に戻る) (サイトのトップへ)
(C) Copyright tt-museum 2001-2005. All rights reserved.