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1960(昭35)年8月 105mm×72mm 四つ折 |
新機材導入競争・日本の国内航空もジェット化へ 新鋭機でスピードアップ 今日では、「運賃」と「サービス」で競争する航空業界ですが、1950年代から60年代にかけては、「スピード」と「快適性」が大きな要素を占めていました。それは、従来のピストンエンジン機からターボプロップ機へ、そしてジェット機へという、技術革新をいかに早く取り入れるかの歴史でもありました。 後発の民間会社として、日航に追いつけ追い越せで意気盛んであった全日空は、1959年(昭34)年10月、コンベア440「メトロポリタン」機を導入。完全与圧式の快適な機内は、当時日航が使用していたDC-4の古い機体とは歴然の差を見せ付けました。 そして、全日空が日航を突き放す決定打として放ったのが、ビッカース「バイカウント」四発ターボプロップ機です。同機はプロペラ機ながら、ジェット機の原理を応用した機体であったため、『ジェット時代来たる』といった調子で宣伝されました。 左は、バイカウント就航時の時刻表。日航機が3時間を要した東京・札幌間が2時間15分で結ばれ、大きなインパクトを与えました。 |
「VIS」印がバイカウントの便。「CV」は前年に就航したコンベア440による便です。 就航当初は、リースされた機体によって、東京・札幌間1往復が運航されました。 (「S」は軽食サービスを示す) |
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日航の起死回生の一計 全日空による「バイカウント」ターボプロップ機の導入は、翌年の1961年(昭36)に本格化しました。そして、大きく水を開けられるかに見えた日本航空は、南回り欧州線や東南アジア線のために導入したコンベア880型ジェット機を、国際線への投入に先駆けて急遽、東京・札幌間に就航させます。 1961年(昭36)9月25日、この日は日本の国内線が純ジェット機時代に突入した記念すべき日となりました。下は、その導入時の時刻表で、表紙には主役となったコンベア880の姿が大きく描かれています。 1959年(昭34)のコンベア440、翌年の「バイカウント」、そしてさらにその翌年のコンベア880と毎年の如く続いた新機材導入競争により、航空旅行の大衆化の基礎が築かれました。 この項の主役となった「バイカウント」は1969年(昭44)まで、コンベア880は1970年(昭45)まで、それぞれ全日空と日航の路線で活躍し、本格的な大量輸送時代へのバトンを渡しました。 |
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1961(昭36)年9月 79mm×217mm 三つ折 |
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赤字で表示された便が、コンベア880の就航したジェット便です。 ジェット便は9月に札幌線で就航開始後、10月には東京・福岡間にも路線を拡大しました。 |
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関連項目 世界にはばたいた日本の翼(日本航空、1961年−1967年) 夢のジェット機・ボーイング727が国内線に就航(全日本空輸、1964年−1966年) 大量輸送時代の裏側で(日本航空、1974年) |
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