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THIS WEEK in BANGKOK (今週の盤谷案内) 1942(昭17)年2月 BUREAU OF TOURIST PROMOTION (タイ) 176mm×103mm 19頁 |
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日本が東南アジアへ勢力を拡大した時代の中で 西欧植民地主義に対抗した日・タイ同盟関係を反映 これは、戦時中にタイのバンコクで発行された、旅行者向け案内冊子です。映画館やレストラン一覧などの他、通信関係の案内、交通機関の簡単な時刻表も掲載されています。 タイは、他の東南アジア地域がイギリスやフランスの植民地となっていた時代にも独立を保ち続けた特異な存在です。民族主義的政策から西欧勢力に対抗したいタイと、東南アジアから西欧勢力を駆逐する上でタイの存在を重要と考えた日本の利害が一致した結果、日本が東南アジアの西欧植民地に勢力を広げた太平洋戦争の中盤まで、タイと日本とは緊密な同盟関係にありました。 表題の日本語(ただし、中身は全て英文なのでこれが唯一)、三井物産・大阪商船といった日本の船会社の広告や、4ページに渡って書かれた日本の行政組織に関するコラムなど、日本に関連した話題が各種盛り込まれているのが特徴ですが、先に述べたような時代背景の反映と言えるでしょう。 表紙には発行年月が『14th Feb 2485』と表示されています。『2485』とは、タイで使われる仏歴の年で、これが1942年に相当します。(ちなみに、2004年は仏歴2547年) |
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上左 本文中より、鉄道・バス・航空のスケジュール。 鉄道は、『バンコク−チェンマイ(タイ北部の古都)』・『バンコク−アランヤプラテート(タイ東部・カンボジア国境に近い町)』のほか、『モンコールボレー−バッタンバン』という、現在のカンボジア領内(元はタイの領土でのちにフランスの植民地となったが、開戦直前にタイに割譲された)の路線も掲載されていました。 バスについては、アランヤプラテートから、シソフォンとモンコールボレーを経由してバッタンバンへの路線が書かれています。(上の時刻表をよく見ると、鉄道とバスの乗換駅・アランヤプラテートで列車とバスが接続していることが分かります) なお、日本国有鉄道が1958年(昭33)に発行した「アジア鉄道概観」のカンボジアの項では、『タイ国境方面については国境の手前60キロのところまで完成し、国境までの残余の部分も路盤工事が完成されていた。日本の仏印進駐が行われ、この間の線路敷設工事を日本軍が行い、ここにバンコックまでの鉄道が開通した』との記述があります。おそらく、この『国境の手前60キロ』というのが、前述のモンコールボレーではないかと思われます。しかし、カンボジア国境の鉄道は、後のカンボジア内戦で破壊され、一部は不通のままです。 上右 裏表紙に掲載されている、「Aerial Transport」(直訳するとそのまま「航空輸送」社)という地元の航空会社の広告。中央に太字で『大日本航空の総代理店』とも書かれています。大日本航空は、1940年(昭15)にバンコクへ乗り入れを開始。この冊子にも国際郵便の項に、週2便の大日本航空便の出発時刻が掲載されていました。 しかしこの冊子の発行直後、同社の路線は軍の管轄下となり、民間航空としての存在を終えることとなります。 |
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関連項目 仏印に発達したバス路線(インドシナ交通会社、1936年) 戦災からの復興を遂げた王国鉄道(タイ国鉄、1959年) 戦乱に翻弄された王朝文化(ロイヤル・カンボジア航空、1966年) 格安海外旅行の先駆け(エア・サイアム、1975年) |
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