「時刻表歴史館」ホーム > 変わりゆくアジア > ロイヤル・カンボジア航空(1966)
Royal Air Cambodge 1966/11 TIMETABLE
1966(昭41)年11月
ROYAL AIR CAMBODGE (カンボジア)
160mm×80mm 7折
戦乱に翻弄された王朝文化

束の間の平和な時代の時刻表
 東南アジアは最近まで、侵略と独立の歴史を繰り返してきました。中でも我々の記憶に残る話題の一つが、カンボジアの内戦でしょう。カンボジアは戦後、1953年(昭28)にフランスから独立し、シアヌーク国王の下で非同盟主義的な位置にありました。これは、その時代のカンボジア航空の時刻表です。
 非同盟主義だけに、同社は一時期、北ベトナムのハノイと南ベトナムのサイゴンの両方に乗り入れていました。この時代にはもうハノイへの乗り入れは無くなっていましたが、運賃表にその名残がまだ見られます。また、中国の広州への便がありましたが、当時は共産圏以外からの中国乗り入れは限られており、非常に珍しい例です。
 
クーデターそして内戦へ
 しかし、こうした非同盟主義的な姿勢は、ベトナム戦争という緊迫した周辺情勢の中ではむしろ、版図を拡大したい勢力の標的にもなりました。1970年(昭45)にはクーデターが発生して国王は追われ、代わりに親米的な政権が誕生します。国内の様々な勢力による、20年に及ぶ内戦の始まりでした。
 航空会社の名前からは"ROYAL"が外れ、表紙に描かれたアンコール・ワットは、戦火の彼方に我々の前から暫し遠ざかることになりました。

 表紙に書かれている"Apsara Service"というキャッチフレーズですが、"Apsara"とは「天女」を意味し、現地の有名な伝統舞踊の題材でもあります。空を駆けるにふさわしいイメージです。


アンコール・ワットの最寄の都市であるシエムリアプには毎日、首都のプノンペンからの便が飛んでいました。
下の段には、サイゴン線の時刻も見えます。使用機はDC-3とDC-6のプロペラ機でした。
プノンペン・香港間では、エールフランスのパリ・東京便の座席の一部をチャーターして提供することも行われていました。
関連項目

仏印に発達したバス路線(インドシナ交通会社、1936年)
日本が東南アジアへ勢力を拡大した時代の中で(タイ観光局、1942年)
戦火の果てに消えたエアライン(エア・ベトナム、1970年)
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