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びわ湖水泳船 1940(昭15)年 太湖汽船 188mm×132mm 二つ折 |
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レジャーに影を落とす時局の空気 大義名分がレジャーに介入 戦時色が強まる中、レジャーも単なる物見遊山的な考えが排除されていきました。1940年(昭15)夏の、琵琶湖の湖水浴の誘致パンフレット表紙にもスローガンが謳われています。(「強き民族」というあたりが当時の日本の公の思想の象徴のようです) それでも交通機関には季節感があった このパンフレットによると、当時、大津からは琵琶湖西海岸へ、湖水浴客向けの臨時船が出ていました。車や電車が一般的となった現在では"船で水泳場へ"というのは、なかなか考えられないでしょう。 |
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関連項目 琵琶湖行直通列車とスキー船(京阪電気鉄道、1937年) 復活したスキー船・水泳船(琵琶湖汽船、1955年−1959年) 湖畔の松と比良の雪を車窓に映して(江若鉄道、1957年−1962年) |
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