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Toa Kaiun 1940/07 日華聯絡線定期表 附 神戸上海聯絡線大洋丸定期表
1940(昭15)年7月
東亜海運
132mm×67mm 四つ折
緊迫する時局と海運

かつての華やかな国際航路は日本の生命線となった
 「旅は国境を越えて」で紹介した、長崎・上海航路の運航予定表です。かつては日本観光の外国人も利用した航路ですが、日中戦争が始まると、大陸に力を注ぐ日本にとって、重要度が一層増大しました。

東亜海運の設立
 大陸方面への航路群(上海・天津・青島などへの航路)の一元的管理による権益の保護を目指し、それまで各航路を運航していた船会社が共同して、1939年(昭14)に東亜海運が設立されました。

 設立に関係した各社は、各々の船舶を現物出資しました。この出港予定表でも、かつては日本郵船所属の「長崎丸」「上海丸」の2隻が、そのまま就航しています。
関連項目

租界と避暑地を結んだ日華連絡航路(日本郵船、1928年)
硝煙あがる北支へ−天津航路(大阪商船、1938年)
日本支配下の国際都市・上海(華中都市自動車、1941年)
国策によって再編された日満連絡最短ルート(日本海汽船、1941年)
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