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歴史に翻弄された植民地鉄道

日本による朝鮮支配は確固たるものに
 戦前の朝鮮半島の鉄道は、日本との関係により、運営主体がたびたび変遷しています。
 睡蓮も色鮮やかな、上段左の時刻表が発行されたのは、「日韓併合」寸前の時期です。国家としてはまだ独立した「大韓帝国」であったものの、1909年(明42)12月に韓国鉄道管理局が設置され、鉄道の管理は既に日本側が実施していました。

大陸への足がかりとして
 一方、韓国が日本へ併合されてからは、大陸での一貫した鉄道輸送の必要性から、南満洲鉄道に経営が委託されていた時代もありました。上段右の時刻表は、丁度その時期のものです。
 満鉄の経営は1925年(大14)に終わり、以降は下段左のように、朝鮮総督府の管理となります。しかし、日本本土との連絡に重要な半島北部の路線は、満洲鉄道総局の北鮮線として管理されました。

 1930年代には、満洲国の成立や日中戦争による華北の掌握を背景に、半島の鉄道は日本と大陸間の大動脈として更に重要度を増し、特急や急行が続々と登場しました。また、特に半島の北部には、石炭や鉱産資源開発を目的とした路線が数多く開業し、時刻表にはそれらについても掲載されていました。
 下段に示した「朝鮮汽車時間表」「朝鮮列車時刻表」は、増大する一般旅行客の便を図り、朝鮮総督府鉄道局が編纂し日本旅行協会(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)朝鮮支部によって発行されていました。


戦時体制の中で
 しかしその重要性ゆえに、大戦中は戦局悪化の影響を避けられず、下段右の大戦末期の時刻表では旅客列車本数が削減され、特急は廃止、かつて朝晩2往復ずつの大陸内部への急行は、ハルビン行と北京行きがそれぞれ1往復残るだけとなっていました。また、『一朝有事の際 列車内ではどうすればよいか』という緊迫した注意もあり、戦時中の苦しい旅が偲ばれます。

(時刻表の発行年月にリンクがあるものは、内容の一部をご覧になれます。)
Korean Railways 1910/07

1910(明43)年7月
166mm×98mm 四つ折


当時、朝鮮・満洲国境の鴨緑江は連絡船で渡っていました。
橋が完成し、直通運転が開始されたのは翌年です。
SMR Chosen Line 1923/07

1923(大12)年7月
194mm×86mm 七つ折
Chosen Government Railway 1932/04

1932(昭7)年4月
158mm×90mm 38頁
Chosen Government Railway 1937/05

1937(昭12)年5月
166mm×102mm 87頁
Chosen Government Railway 1944/06

1944(昭19)年6月
183mm×130mm 93頁


「大東亜共栄圏」をイメージさせる表紙。
内部にも同様の折込地図が入っています。
関連項目

沃野を貫く国策ローカル線(南朝鮮鉄道、1933年)
黄土の大地をゆく鉄路も日本の支配下に(日本国際観光局、1938年-1940年)
「鉄馬は走りたい」−分断された朝鮮半島(大韓旅行社、大韓民国交通部、鉄道教養協会、1956年-1969年)
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