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列車時刻表 1933(昭8)年4月 南朝鮮鉄道 155mm×87mm 六つ折 |
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沃野を貫く国策ローカル線 内鮮連絡の新ルート 戦前、内地と朝鮮半島を結ぶ手段としては、下関・釜山間の関釜連絡船が有名でしたが、1930年(昭5)12月、新たなルートが誕生しました。下関と麗水を結ぶ川崎汽船の関麗航路から、南朝鮮鉄道という私鉄(麗水港・全南光州間)の列車を介して朝鮮総督府の鉄道に接続し、京城(現・ソウル)やその先の大陸に至るというものです。沿線の豊富な農水産物の集散という役割も期待されました。 植民地ビジネスの影 植民地支配の強化が開発に至上の地位を与え、さらに新しい投資を呼ぶ循環。そして、不況の内地よりも植民地での成功に望みを託した人々がその奔流に身を委ねる。これらの動きが交錯しながら時代の歯車が回転する中で、現地の日本財界人や内地の資本家が、「大陸への連繋」「資源の移転促進」という国策を大義名分に乗り出したビジネスがこの鉄道でした。 国策だけではなく、現地の福利向上ということも目的の一つとされましたが、実際には、極端な安値での土地の買占め等に象徴されるように、支配する者とされる者という構図の下、有形無形の痛みを現地に与えることにもなりました。植民地開発が収奪であったといわれる所以です。 こうした私鉄誕生の背景には、大正末に鉄道網開発を目的として、「朝鮮私設鉄道補助法」などが制定されたということもあります。南朝鮮鉄道は、わずか2年たらずの突貫工事で、港湾開発と約160キロの路線が完成し、のちに朝鮮総督府の鉄道に買収されています。まさに国家の思惑のもとにその生涯をたどった私鉄でした。 |
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関連項目 歴史に翻弄された植民地鉄道(韓国鉄道管理局、朝鮮総督府鉄道局、1910年−1944年) |
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