「時刻表歴史館」ホーム > 繁栄の時代 > 日本航空(1961-67) > 時刻表内容 | |
世界にはばたいた日本の翼 遂に日の丸ジェット機就航 ハワイ経由で日米を結ぶ太平洋路線は、世界規模のパンアメリカン航空と、後発の日航が競争を繰り広げてきました。パンナムは日航に先んじて、1959年(昭34)9月に太平洋線に初めてボーイング707型ジェット機を投入することとなります。 一方の日航は、パンナムに遅れること11ヶ月の1960年(昭35)8月、東京・サンフランシスコ線にダグラスDC-8型ジェット機の運航を開始しました。上段は、その翌年の国際線時刻表です。 銀翼に北極の雪原を映して この時刻表には、1961年(昭36)年6月から開始される、北極経由欧州便の時刻も掲載されています。このルートは、前年にエールフランスとの共同運航という形で開始されましたが、日航が独自のジェット機を入手したのに伴い、この時から自社の機体で自主運航するようになりました。 そして世界一周へ 太平洋そして欧州へと路線網を伸ばした日航は、1967年(昭42)3月、遂に大西洋横断線の運航を開始し、世界一周線をもつ数少ない航空会社の仲間入りをしました。折から1964年(昭39)には海外旅行が自由化されたこともあり、日本人にとって世界が身近になった時代を象徴的する出来事でした。 最下段の時刻表は、まさに世界一周線開設時のものとあって、「いよいよJALで大西洋横断が可能に。地球を一周する、JALの丁重なもてなしをお楽しみ下さい。」とのコピーが輝いています。 欧米の各社がしのぎを削る中では採算も苦しく、事故による機材不足も手伝って、日航の大西洋線は1972(昭47)年に運休となり、世界一周線はわずか5年で終わりを告げました。 (時刻表の発行年月にリンクがあるものは、内容の一部をご覧になれます。) |
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1961(昭36)年4月 233mm×102mm 15頁 |
1961年(昭36)に日本航空が発行したDC-8の紹介パンフレット。 京都の祇園神社(八坂神社?)にファーストクラスの座席を置いて撮影。 日本趣味が盛り込まれた機内を「音速で日本の静寂美を」と形容しています。 これは英国のコピーディレクターである、ピーター・デイ氏の作とのこと。 |
1967(昭42)年3月 230mm×103mm 30頁 |
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1967年(昭42)3月の時刻表より、世界一周線の部分。 実際には一機が通して一周を運航するわけではありませんでしたが、日航機だけを利用して世界一周が可能となりました。 当初はロンドン・ニューヨーク間のみでしたが、のちにパリ・ニューヨーク間も運行されました。 |
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関連項目 日本の翼が初めて太平洋の両岸を結んだ(日本航空、1954年) 新機材導入競争・日本の国内航空もジェット化へ(全日本空輸、1960年 日本航空、1961年) 西側航空会社初のシベリア空路(日本航空、1969年) 石油危機が社会・経済を襲った(日本航空、1974年) |
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