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TIMETABLE・FARES & RATES 1969(昭44)年4月 日本航空 230mm×103mm 33頁 |
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西側航空会社初のシベリア空路 ソ連領空の開放 1960年代に入るとソ連も対外進出の必要性から、航空路線について各国と協議を重ね、領空の開放が進みました。日航は1967年(昭42)4月に東京・モスクワ線を開設。シベリア大陸横断便の運航は西側諸国の中では最初となりました。 この時刻表の頃は週一便の共同運航という形で運航されていたため、機材は日航のマークも描かれたソ連側の巨大プロペラ機・Tu-114を使用し、日ソ混成クルーが乗務していました。 1970年(昭45)からは、日航自前のDC-8型ジェット機を使い、路線もパリやロンドンまで延長の上、自主運行されるようになります。 |
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アエロフロート・ソ連国営航空発行の、Tu-114案内冊子。 記述内容から、1960年(昭35)頃の発行と思われます。 右上は冊子内に描かれた機内透視図。 ジェット機にも匹敵する速度と全長は、衆目を集めました。 2つの客室と、食堂・寝台・個室を備えた豪華な内部です。 右下は機内の様子。 両側3−3配置でもかなり広い内部であったことがわかります。 しかし一方で、いかにも電車の網棚のような荷物棚はご愛嬌。 |
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関連項目 オーロラの旅路−北極回り空路の登場(エールフランス、1958年) 世界にはばたいた日本の翼(日本航空、1961年−1967年) 中央アジアの草原を翔ける−北欧〜東南アジア直結ルート(スカンジナビア航空、1970年) |
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