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高速ディーゼル特急が都市間輸送をスピードアップ

北ドイツの平原を疾走

 第2次大戦前、鉄道の技術も進歩を遂げました。欧米では、ディーゼル動車が実用の域に達し、車両の軽量化や高速化、空調設備の装備が始まるなど、まだ航空機が一般的ではなかった時代、これらの技術は都市間輸送の質の改善に寄与することとなります。
 特にドイツ国鉄では、高速ディーゼル列車の運行に力を入れました。1933年(昭8)5月から、ベルリン−ハンブルグ間に、列車番号FD1/FD2のディーゼル特急が登場。この列車は途中ノンストップの2時間18分で両市を結び、"Fliegender Hamburger"−「フリーゲンデル・ハンブルガー」(ハンブルグ急行とでも意訳しましょうか)と呼ばれました。
 流線型をした2両一組の小振りな車両で、同区間の所要時間はそれまで最速の客車列車からわずか10分たらずの短縮ながら、最高時速160キロはかつてない性能を誇りました。以降、戦前のドイツでは、同様のディーゼル列車が増備され、高速都市間連絡特急網が東西南北各地に広がることとなります。

 所要時間と距離から計算すると、ベルリン−ハンブルグ間の平均時速は約125kmとなり、今日からみても相当なものです。(JR在来線特急の速いものでも時速100km程度)
 このシリーズの列車は、戦争に入ると残念ながら運行は中止されました。しかし、その技術自体は、戦後の1957年(昭32)から欧州各地を結んで活躍したディーゼル特急・TEE(Trans Europ Express)の基礎にもなりました。
Deutsche Reichsbahn 1933/10

1933(昭8)年10月
180mm×85mm 二つ折


これは、列車別に発行されていた時刻表。
ハンブルグ−ベルリン間にディーゼル特急登場直後のもの。
「Schnelltriebwagen」とは、「高速動車列車」の意です。
2等車と荷物車のみの構成であったことがわかります。
Deutsche Reichsbahn 1936/10

1936(昭11)年10月
224mm×103mm 六つ折


ドイツ国鉄中央観光局発行の、ハンブルグ発急行列車時刻表。
表紙には疾走するディーゼル特急が描かれています。
右はその中から、ハンブルグ−ケルン間の時刻。
「FDt」と書かれた行がディーゼル特急を示します。
ケルンを朝7時に出発し、昼前にハンブルグ着。
帰りはケルン0時過ぎ着という、ビジネスを意識した時刻です。
関連項目

豪華列車が彩った大戦間の欧州(ドイツ帝国鉄道/ミトローパ、1931年)
中欧へ吹き荒れたナチスドイツの嵐(ドイツ帝国鉄道、1943年)
欧州戦線の終結と米軍による鉄道管理(米陸軍・欧州軍用鉄道、1945年)
東西ドイツを走り抜けた米軍専用列車(米陸軍、1947年−1951年)
TEE−ヨーロッパに広がる国際特急網(西ドイツ国鉄、1958年)
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