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AEROFLOT 1959/Summer 時刻表
1959(昭34)年夏
AEROFLOT
 (旧ソ連)
228mm×106mm 16頁
アメリカに先んじて就航したソ連ジェット

共産圏をつないだ立役者
 イギリスの"コメット"が就航停止になっている間、冷戦時代の軍拡競争という背景から、ソ連やアメリカもジェット機の開発を進めていました。
 まず1956年(昭31)9月にソ連国営航空のアエロフロートがTu-104型機をシベリア大陸横断線に投入。広大な領土の時間距離を短縮しました。その後、北京や平壌といった東アジアの共産圏や東欧・親ソ国家にも路線をのばし、冷戦時代の鉄のカーテンの結合維持と拡大に一役買いました。
 しかしジェット機としてはパイオニアの栄誉を担ったものの、初期の機体のために、輸送量や航続距離には物足りなさがあったのも事実で、比較的早期に退役してしまいました。

 この時刻表の表紙に描かれている機体がTu-104型機です。この当時には、パリやロンドンといった西側諸国の欧州線にも就航しています。


 Tu-104(ロシア語では「Ty-104A」と表記)が就航している極東線の時刻表。
最上段はタイトルで、「中国・朝鮮・モンゴル・インド・アフガニスタンより」と書かれています。
以下の段は順に、便名・機種・就航曜日(又は就航日)。最下段は所要時間。
左端にみえる寄港地名は上から以下の通りです。
北京・平壌・デリー・カブール・ウランバートル・ウルムチ・瀋陽・イーニン・ハルビン・ハイラル
アルマアタ・テルメス・チタ・タシケント・イルクーツク・オムスク・モスクワ
関連項目

世界初のジェット旅客機の登場と教訓(英国海外航空、1953年)
大西洋横断に本格的ジェット機就航(パンアメリカン航空、1958年)
周辺国に翻弄され続けたバルト3国(アエロフロート、1962年)
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