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臨戦態勢の中で高度成長を続けた台湾鉄路 緊迫する中国・台湾の関係 1958年(昭33)、中台が接する台湾・金門島に対する砲撃事件が発生しました。下は、そうした時代に発行された台湾の鉄道時刻表です。空襲警報時の対応が掲載されていたり、大陸で組織されていた「人民公社」を非難する標語が見られます。(その中では、大陸側を「共匪」(きょうひ)と表現しています) 一方、鉄道施設は西側諸国の援助を受けて、近代化の途上にありました。表紙に描かれている列車は、当時デビューした、アメリカ製ディーゼル機関車牽引の「観光号」(台北−高雄)です。 |
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1961(昭36)年6月 127mm×95mm 84頁 |
時刻表本文より、空襲警報発令時の対応について。 『空襲警報時は落ち着いて速やかに行動すること』 『敵機が頭上を通過するときは伏せること』等が書かれています。 1980年代まで、断続的にこうした注意の掲載が続きました。 |
多様な魅力 下は1966年(昭41)のもの。この年には、日本から輸入されたディーゼル車を使用した特急「光華號」が運転を開始し、一層の高速化が図られました。優等列車の増発はその後も続き、以下に紹介した時刻表の内部の画像からは、台北−高雄間の西部幹線に多くの直通列車が設定されている様子がわかります。 しかし、台湾の鉄道の特色は、最新設備の導入だけではありません。当時はまだ各地に砂糖キビ運搬用の軽便鉄道が多数、残っていました。ここでは路線と運賃のみが掲載されていますが、古き時代が垣間見え、独特の趣があります。 これらの時刻表には、名所のグラビアや周遊モデルコースも掲載され、先に述べた臨戦態勢の緊張と自由の両面がうかがえる内容となっています。 |
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1966(昭41)年12月 127mm×95mm 80頁 |
砂糖工場のサトウキビ運搬鉄道で、旅客輸送も行っている路線の一覧表。 時刻は非掲載ですが、『台鉄列車の発着に合わせて運行』となっていました。 これらは、自動車交通が発達した現在、旅客扱いを止めてしまいました。 |
1972(昭47)年7月 127mm×93mm 136頁 西部幹線電化前の全盛時代。 「光華號」は、車内で弁当を無料提供。 |
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そして大発展期へ 戦前からの路線網、そして非電化の状態がそのまま残っていた台湾の鉄道ですが、1970年代後半から大きく変貌を遂げることとなります。以下に紹介するのは、そうした時代の時刻表です。 1979年(昭54)には、台北から高雄に至る西部幹線の電化が完了。新しい電車による「自強号」が登場しました。そして翌年、台北と鉄道での連絡が無く、長らく陸の孤島的状態であった東海岸に、初めて鉄道が通じました。この「北廻線」開業により、飛行機の他は断崖の道をゆくバスや船に頼っていた、花蓮を中心とする東海岸の都市への連絡が確実になり、台湾交通史の一大紀元となりました。 その後、台湾南端をまわる南廻線も開業し、今日では鉄道で台湾一周が可能となっています。 |
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1980(昭55)年3月 130mm×92mm 164頁 北廻線開業時の時刻表。 表紙は同線をゆくディーゼル機関車。 |
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関連項目 南国の珍交通機関「台車」(台湾製糖埔里社軌道、1926年) 日本の台湾統治を支えた縦断鉄路(台湾総督府交通局鉄道部、1929年-1939年) 新時代の台湾(中国旅行社、1956年) 台湾国内線の発展前夜(遠東航空、1967年) 米中関係の激震の中で(中華航空、1972年) |
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