「時刻表歴史館」ホーム > 大陸・南洋へ > 哈爾濱航業連合局、南満洲鉄道・北満江運局(1938-40) | |
ソ連・満洲国境をゆく船旅 ロシアの東方進出は水運にも 陸上交通が未発達であった中国東北部・ロシアとの国境地帯は、黒龍江や松花江を中心とした河川交通が発達しました。同地方の水運経営は20世紀のはじめ、東清鉄道(チタからハルビンを経てウラジオストクに抜ける鉄道。シベリア横断鉄道と連絡し、ロシアの東洋における権益の屋台骨となった)の敷設直後はロシアの手に握られ、その後ロシアは駆逐されて、中国の手に移るという変遷を辿っています。 鉄道の無い奥地の足として活躍 1932年(昭7)に満洲国が成立すると、南満洲鉄道は満洲国鉄のほか、港湾や河川の運営も満洲国から委託を受けました。これに伴い、国営の水運の営業は満鉄の経営となりましたが、水運の場合、鉄道と違って民間企業も多く存在したため、官民問わず北満の水運を統合的に経営する目的で、1933年(昭8)に「哈爾濱航業連合局」という企業集団が形成されました。 下の2点は、哈爾濱航業連合局が発行した航路案内です。『北満船の旅』によると、ハルビンを10時に出港して河を下る定期急行船は、翌22時に佳木斯(ジャムス)着という予定でした。 |
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1937年(昭12)に発行された航路案内。 『客船43隻、客貨船22隻を保有』とあります。 |
1938(昭13)年4月 185mm×112mm 八つ折 |
『北満船の旅』は、航路の沿革・運賃・就航路線と頻度・寄港地の案内などが書かれています。 上は、航路沿線のイラストマップ。左下の都市がハルビンです。 上方に描かれた黒河は、アムール川を挟んでソ連のブラゴエチエンスクと対する国境最前線の街として知られていました。 |
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やはり満鉄が担った満洲奥地の足 哈爾濱航業連合会は五千キロにもおよぶ路線の運航を行いましたが、一方で民間会社の資産の買収が進み、やがて文字通り満鉄による一元経営の素地が整います。そして、北満の水運経営を一手に担うために満鉄内に1939年(昭14)に新設され、哈爾濱航業連合会の業務を引き継いだのが「北満江運局」です。 下に紹介する資料は、北満江運局による客船のスケジュール表。大戦前夜、黒河や虎林といった川向こうはソ連という、緊迫した地域にも数多くの航路が運航されていたことが分かる貴重な資料です。 広大な満洲では、船中で2泊するような長距離航路も少なくなかったことがわかります。 |
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1940(昭15)年頃? 531mm×387mm 1枚 (画像は一部) |
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関連項目 大陸支配の尖兵「満鉄」と「あじあ」号(南満洲鉄道、1915年-1935年) |
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