「時刻表歴史館」ホーム > 戦前黄金時代 > 鉄道省 大阪鉄道局(1930-31) | |
十月一日 列車時刻大改正 1930(昭5)年10月? 大阪鉄道局 (鉄道省) 227mm×312mm 一枚 |
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サービスの時代−超特急「燕」そして三等寝台車登場 無駄を切り詰めた運転計画で最速を実現した「燕」 上は、九州新幹線として今日も生き続ける列車愛称の名門、「つばめ」(燕)が初めて日本の鉄道史上に登場した時の時刻表です。当時は世界的な不況の真っ只中ながら、それを吹き飛ばすかのようなインパクトで颯爽と東京−大阪−神戸間を、それまでより約1時間近く短縮して走り抜けました。 『御期待の、富士より早い燕運転開始』というキャッチコピーからは、旅客誘致のためにサービス向上に力を入れていた鉄道省の、お役所らしからぬ側面がうかがえますが、この、当時最速を実現するためには、現在では考えられない奇策が用意されます。無停車を実現するために、機関車乗務員は走行中に交代。(交代乗務員は客車で待機し、交代時間に客車から機関車に登り移るという離れ業!) 長距離無停車で途中補給が困難な蒸気機関車の水は、タンク車を新造して連結することで補うなど・・・ こうした時間短縮策は、余裕が出ると取りやめになりましたが、対抗交通機関がなかった当時、「燕」は鉄道省の誇る名士列車として、戦時中の1943年(昭18)まで東海道に君臨しました。 チラシの字体や背景の蒸気機関車のイラストが、アール・デコ風なのも時代を物語ります。 |
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1931(昭6)年1月 大阪鉄道局? (鉄道省) 180mm×256mm 一枚 |
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「庶民にも寝台車」が正夢に 二万二千円をかけて車両を新造 昭和ヒト桁頃の鉄道省(のちの国鉄、いまのJR)は様々なサービス向上策を実現しましたが、それらが支持されたのは、単に贅沢指向のサービス向上ではなく、庶民の旅行の質を底上げするものであったからに他なりません。その中で有名なものが、上のチラシに紹介する三等寝台車の実現です。それまで、寝台車は一等と二等旅客にしか縁がないものでしたが、1931年(昭6)2月より東京−神戸間の急行2往復に三等寝台車が連結され、当時12時間かかった東海道の旅が快適なものとなりました。 初期の三等寝台車はもちろん3段式で、しかも今日のようにカーテンや寝具もなく、単に横になれるだけといったものでした。その後、カーテンを取り付ける等の改良も加えられ、運転線区も全国に拡大しましたが、社会情勢の緊迫化に伴なって1941年(昭16)7月に連結中止となりました。 |
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関連項目 東海道に特急復活(日本交通公社等、1952年) 東海道に「ビジネス特急」登場(日本国有鉄道、1958年) 世界に誇るシンカンセン(日本国有鉄道、1964年) |
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