「時刻表歴史館」ホーム > 変わりゆくアジア > 人民革命軍事委員会鉄道部(1949)、中央人民政府鉄道部(1952-54) | |
中華人民共和国の成立と発展 戦後極東史の最初の転回点 第2次大戦が終結すると、それまで抗日で一致していた国民党と共産党が、1946年(昭21)7月から再び内戦に入りました。この「国共内戦」は、米ソの直接軍事介入こそなかったものの、アジアにおける西側陣営と東側陣営の勢力圏を決定付ける結果となりました。 当初、毛沢東率いる共産党軍は劣勢でしたが、やがて東北地方を固めることに成功します。そして、当時の時刻表の表紙に書かれた『解放全中国』のスローガンの通り、共産党軍はこの頃から中南部へ最後の進撃を開始。ついに1949年(昭24)10月に大陸本土の制圧を果たし、中華人民共和国が成立しました。 以下に紹介する、「人民革命軍事委員会」が発行した時刻表第一号には、当時、共産党の支配下にあった華北(北京を中心とした地域)以北の各線が掲載されています。その第一頁には、鉄道関係者会議における決議を掲げ、『運輸計画を完遂』し『人民解放戦争を支援』するために、『車両の回転率向上』『資材節約』『先進事例に学ぶ』『計画・組織・規律の向上』等を重点事項としていました。(下右の画像) |
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1949(昭24)年5月 186mm×128mm 48頁 |
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中ソ蜜月時代 建国初期の中国は、ソ連との緊密な関係を構築し、西側陣営に対抗していくこととなります。1950年(昭25)からの朝鮮戦争には、ソ連をバックに義勇軍を派遣して北朝鮮を支援。この時期の時刻表には、欄外に親ソ・反米のスローガンが多数書かれ、当時の中国の姿勢が鮮明に伝わってきます。 またこの時、戦後長らく「中国長春鉄路」としてソ連の管理下にあった大連以北の元・南満洲鉄道が中国へ返還され、中ソは平和友好条約に基づくパートナーとしての道を歩み出しました。 結局、朝鮮戦争は休戦という形で決着し、中国はソ連の物的・人的援助を受けながら「第一次5カ年計画」(1953年〜)として国力増進の道へ進み、社会主義経済の確立に向けた急速な改造が行われていきました。最下段に紹介するこの頃の時刻表の表紙にも、ダムと送電線や工場・畑が描かれ、農工にわたる開発・改革の推進を象徴しているようです。 鉄道分野でも、第2次大戦末期やその後の内戦で撤去・破壊された路線の復旧が一段落すると、新線の建設が本格化しました。(ただし、この時刻表の頃は新線の建設が始まったばかりで、路線網は従来とほぼ同様です) 欄外には『中長鉄路経験叢書』といった、ソ連の鉄道技術に関する書籍の広告もあり、当時の中国の立場を象徴しています。 |
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1952(昭27)年12月 180mm×128mm 172頁 |
1952年の時刻表には、多数のプロパガンダが書かれていました。 これは、朝鮮戦争での米軍の細菌戦への反対を主張するもの。 しかし、実際には米軍にそのような事実は無かったようです。 他にも、スターリンや中ソ同盟を賛美するもの等が見られます。 |
1954(昭29)年5月 186mm×131mm 201頁 |
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関連項目 「大躍進」時代の中国(上海市公共交通公司、1960年) 竹のカーテンの向こうの翼(中国民航、1971年) |
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