左は、ジェット時代に入って間もない、1964年(昭39)夏季の時刻表。上はスイス方面への時刻の抜粋です。当時の機種は先に紹介した、「カラベル」「バイカウント」と、老兵DC-3で構成されていました。アルプスの山々を見ながらののんびりしたフライトが想像されます。 その一方で、当時のジェット化の時流から、「カラベル」の就航便につけられたJET という文字が目をひきます。 |
航空ファンの精神科医として有名な斎藤茂太氏は、著書の中で当時の旅について、こんな風に書いています。この時刻表の別の場所に載っている、国内線での体験のようです。 (前略)『チロル山中のインスブルックから音楽の都ザルツブルグを経てウィーンまで乗ったのが何とDC3で(AUA航空)、客席と操縦席のドアが開けっぱなしで、Yシャツ姿のパイロットが、アップルザフト(リンゴジュース)をラッパのみしながら操縦しているすがたがみえ、そして機はザルツブルグに降りるまで、とうとう両側の山より高く上昇できなかったことを思い出す。』 (出典:「飛行機とともに」 中公新書 昭和47年) |
ジェット時代に入ると、ローカル線もDC-3のような、与圧も無い古い機体では見劣りがするようになりました。同社は1966年(昭41)から、イギリスのホーカー・シドレー748型双発プロペラ機を導入しました。 上は当時のパンフレットですが、同社はこの機に「Belvedere」(ベルヴェデーレ)という愛称をつけて宣伝したようです。外見や機内は、当時日本で就航を開始したYS-11とそっくりです。 「ベルヴェデーレ」はウィーンにある宮殿の名前に由来するようです。(パリ在住のmaro様よりご教示いただきました) 元々は「美しい眺め」「望楼」を意味する言葉とのことですが、同機の楕円形の大型窓からの眺望は、まさにその名に違わぬものだったのではないでしょうか? しかし、同機はDC-3に代わって国内線や短距離国際線に使用された後、1970年頃に早くも引退しました。 |
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左は、1969年(昭44)の夏季時刻表。 同社はこの時から、サベナ・ベルギー航空と共同で、ブリュッセル経由ウィーン・ニューヨーク間の大西洋線の運航を開始しました。右は、使用されたボーイング707ジェット機です。 音楽の都・ウィーンと、世界の商業音楽界の中心地・ニューヨークを結ぶ路線だけに、音楽関係者の往来もあったのではないでしょうか? |
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当時の搭乗記念絵葉書。美しいアルプスの上空を飛ぶ、オーストリア航空のボーイング707。 |