オーストリア航空草創期(その2)
'50s - '70sのオーストリア航空


オーストリア航空広告  左は、1960年(昭35)9月のウイーンの週間観光案内冊子の表紙に掲載された、同社の広告です。同年から、一回り大型の「バイカウント837」が就航したこともあり、『プロップ−ジェットのスーパー・バイカウントで東西南北最良の連絡』と謳っています。

 巻末には、ウィーン空港発の航空時刻表が掲載され、それによると同社の発着都市は、モスクワやカイロ・ベイルートまで広がっていました。
 余談ですが、この冊子の演奏会予定表では、ウィーン国立歌劇場で、カラヤンやベームなど、今は亡き巨匠たちがオペラを指揮し、音楽界に君臨していた様子もうかがえます。(上)
 また丁度この時、日本を代表するオーケストラのひとつであるNHK交響楽団が、初の海外演奏旅行でウィーンを訪れていました。
 急成長を遂げる航空界と同様、いずれも1960年代の輝かしいひとコマです。


   下左は、1963年(昭38)頃の国内線ルートマップの表紙。同社もこの頃ジェット時代に入りました。表紙のシルエットは同年に導入された新鋭機で、「バイカウント」と同様に当時の欧州で広く使われた、フランス製双発ジェット機の「カラベル」です。

 当時、ウィーンの他にオーストリア国内では、インスブルック、ザルツブルグ、リンツ、グラーツ、クラ−ゲンフルトといった都市に発着していました。
 
ルートマップ表紙 バイカウント機紹介
   オーストリア航空は、自社の機体に様々な愛称をつけていました。上右はルートマップの中に掲載されている使用機種紹介ですが、「バイカウント」には、「ヨハン=シュトラウス」「モーツァルト」「ベートーベン」「ブルックナー」といった、ウィーンにゆかりの深い作曲家の名前がついていたことがわかります。  


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