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FLUGPLAN (航空時刻表) 1940(昭15)年10月 DEUTSCHE LUFTHANSA (ドイツ) 210mm×102mm 12折 |
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時刻のない「時刻表」 ドイツ軍は1939年(昭14)ポーランドを急襲し、第2次大戦が勃発。明けて1940年(昭15)前半には、デンマーク・ノルウェー・ベルギー・オランダ・フランスへと占領地を拡大し、破竹の勢いで欧州を席巻するに至りました。 その夏、狙いはイギリスへと向けられ、「バトル・オブ・ブリテン」が始まります。英独双方の、それぞれ相手領土への攻撃と自国の防衛の戦いは、被害を受けながらもイギリスが持ちこたえ、大戦後半の反攻につながりました。 戦争は「時刻表」から時刻を奪った 当然のことながら欧州の空は戦場でした。そして、非武装の民間機の航行は危険な状況であったのにもかかわらず、むしろ、連合国・枢軸国・中立国ともに、自国やその一部が孤立しないよう連絡を維持するため、航空便が重要な役割を担いました。 このルフトハンザ航空の時刻表は、たしかに「時刻表」と銘打って、戦前のものと同様に路線図形式で発着都市とルートが示されています。しかし、待ち伏せ攻撃を避けるためか、定時発着のあてがなかったためか、便名のみが書かれ、時刻については全く載っていません。「非常時につき、スケジュールは急に変更となることがあります。事前に旅行会社で確認することを勧めます。」と謳われています。 別に紹介するように、日本でも戦時中の時刻表では、敵潜水艦の攻撃を避けるため、連絡船の時刻が伏せられていたことがありました。 |
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ベルリンを中心に、戦時中でもルフトハンザの路線は運航されていました。 しかし、戦前の時刻表と比較すると、便名のみで時刻が掲載されていないのが一目瞭然です。 また、国内(本来のドイツ領土)の発着地が大幅に減っています。 政治・産業的に重要な限られた人々の、長距離移動にのみ使われていたのではないかと思われます。 戦前のルフトハンザはその路線網を縮小しながら、1945年(昭20)の敗戦直前まで運航され、その後解体されました。 |
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関連項目 航空郵便が大洋を越えた(ルフトハンザ、1935年) 不安の中で世界が集った戦前最後のオリンピック(ルフトハンザ航空、1936年) |
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