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Japanese Government Railways 1940/? 紀元二千六百年 聖地参拝汽車時刻表
1940(昭15)年
鉄道省 大阪鉄道局
168mm×84mm 8折
紀元2600年−軍国主義の中の祝祭

聖地・大和へ
 明治時代以降、神武天皇の即位を元年とする「皇紀」が採用されると、1940年(昭15)年は皇紀で丁度2600年の節目にあたっていました。これを機に東京で万博やオリンピックといった大きな国際イベントが企画されましたが、折りしも前年には欧州で第2次大戦の火蓋が切られ、アジアでも日中戦争が3年目に入って世の中が戦時色を増す中、それらは幻に終わることとなります。
 一方この年には、皇国賛美の精神を高揚させるような催しやキャンペーンが盛り上げられ、たとえば橿原神宮や桃山御陵といった、皇室関連の史跡への参拝が奨励されたりしました。鉄道各社も割引切符を発行し、この年、橿原神宮への参拝者は、のべ1000万人にのぼったと言われます。(近鉄のホームページによる)
 そうした史跡の多くは近畿地方に点在し、これは、それらを巡拝する旅行者の便宜をはかって発行された時刻表です。表紙に描かれた神宮の鳥居が、この時刻表の目的を象徴しています。鉄道省発行ながら、私鉄である大軌線(大阪電気軌道)や関西急行鉄道の時刻も掲載されている点が特徴的です。
 紀元2600年をめぐって日本中を挙げて演出された祝祭ムードは、重苦しさを増す世相の中では一服の休息にも作用したようですが、一方で、国民が巧みに国家主導の流れに取り込まれていくという時代を象徴した暗さも同時に秘めていたといえるでしょう。

 表紙に描かれた蒸気機関車はC53かC55と思われます。変わったスタイルをしていますが、昭和10年頃、高速化を目指して流線型のカバーが取り付けられたものです。(実際はあまり効果はなかったようですが)


橿原神宮や畝傍御陵に近い桜井線畝傍駅から、奈良線を経由して京都方面へ抜ける時刻。
この画像に入っていない部分には、名古屋方面(熱田神宮)や山田方面(伊勢神宮)への連絡時刻も掲載されています。
関連項目

大阪湾に繰り広げられた帝国海軍の偉容(鉄道省 大阪鉄道局、1936年)
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