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空飛ぶ巨鯨の栄光と悲劇 南米への定期運航 飛行船を定期運航したのは第2次大戦前のドイツです。初めは実験的な試みが主体でしたが、1929年(昭4)には世界一周飛行も成し遂げ、大陸間を結ぶ実用交通機関としての役割が期待されました。 1932年(昭7)には南米への路線が開設されました。上段の予定表の表紙には、リオ・デ・ジャネイロを後にする「グラーフ・ツエッペリン」号が描かれています。 下段の予定表の発行時には、ニューヨークへの路線も開設され、あの「ヒンデンブルグ」号が就航しました。北米航路は、同年夏に開催の、ベルリン・オリンピックへの観客輸送にも一役買いました。 国家体制に翻弄されたその晩年 ナチスの支配が強化される中、飛行船は格好の宣伝材料として扱われ、表紙にみられるように、尾翼には鉤十字が描かれるようになりました。しかし、飛行船の運航に携わった人々は、最後まで純粋に交通機関としての飛行船に希望と誇りをもっていたといいます。 1937年(昭12)5月、ニューヨークでの「ヒンデンブルグ」号の爆発事故と、ナチス・ドイツの国際的孤立の深まりを契機に、飛行船の時代は幕を閉じました。 |
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1935(昭10)年2月 149mm×105mm 二つ折 |
南米線の「グラーフ・ツエッペリン」号のスケジュール。 フリードリヒスハーフェンと、リオ・デ・ジャネイロ間は4日かかりました。 |
1936(昭11)年6月 210mm×98mm 三つ折 |
1936年(昭11)からフランクフルト・ニューヨーク線が開設されました。 <LZ129>とは「ヒンデンブルグ」号のことです。 |
関連項目 航空郵便が大洋を越えた(ルフトハンザ、1935年) 不安の中で世界が集った戦前最後のオリンピック(ルフトハンザ、1936年) |
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