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敦賀及各地間 汽車著發時刻表 1915(大4)年4月 大和田回漕部 153mm×85mm 四つ折 |
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欧州への旅路の序章・欧亜連絡列車 鉄道も国際化した20世紀 「毎週金曜午後8時25分東京発金ヶ崎(現・敦賀港)ゆき」−船会社の代理店発行のこの時刻表には、こんな列車が紹介されています。正確には、神戸行き急行に一等寝台車を併結し、米原でこの車両を分離して敦賀に向かいました。乗客は、敦賀からの大阪商船ウラジオストック航路に乗り継ぎ、遥か欧州を目指す旅行客。大戦前の国際連絡華やかなりし時代を象徴する列車です。 時代の中の「みなと」 金ヶ崎駅は敦賀港の桟橋にありました。今日では、船での海外旅行は少なくなりましたが、戦前は桟橋に駅が設けられ、客船の出港日に臨時列車が運転される例がいくつか見られました。中でも敦賀は、日露戦争という激動の時代を経て、シベリア横断鉄道の伸展や日露間の国際連絡運輸の開始という、ユーラシア大陸の交通の大きな変遷の中に位置していたという点で、特に興味深い例と言えます。 欧亜連絡国際列車は、1912年(明45)に運転開始。その後第一次世界大戦やロシア革命で、欧亜連絡が途絶状態になったことで一時期消滅しましたが、昭和戦前に復活し、再び激動の時代を走りました。 |
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備考欄に見えるのが東京発の「欧亜連絡列車」の運転についての説明。 汽船の敦賀港入港日にも、米原から東京行き特急に接続する臨時列車が、やはり金ヶ崎駅から運転されました。 ウラジオストック航路は、大阪商船「鳳山丸」が金曜午前6時敦賀入港・土曜午後4時出港というスケジュールでした。 |
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