港の風景(敦賀港)


 敦賀港は、若狭湾の東端の入江・敦賀湾の奥に築かれた港です。今日ではその名前を聞くことはほとんどありませんが、敗戦までは北部朝鮮やソ連沿海州への玄関口として、旅客の往来に重要な役割を担っていました。

 左は、1932年(昭7)に地元の団体が作成した「国際港都市・敦賀港案内」という、観光ガイドです。
 内容は、敦賀港一帯の鳥瞰図や、地元の名所・産業や交通の案内です。
 下は、その鳥瞰図の一部より。中央やや上の桃色の部分は、桜で有名な「金ヶ崎宮」。そのふもとの左に突き出した部分が、中心となる鉄道桟橋です。
 鳥瞰図の中央やや右に、汽車が走っているのが見えます。敦賀港には北陸本線から分岐して、鉄道線路が通じていました。(いまも貨物線として残っています。)
 この線路を通ったのは、この港と大陸を結んだ航路の入港・出港にあわせて運転された、東京からの直通列車でした。左下の、1935年(昭10)前後の鉄道桟橋の絵葉書にも、線路がはっきりと写っています。第二次大戦前、この列車はシベリア大陸を経由して欧州へ向かう人々にも利用され、「欧亜連絡国際列車」とも称されました。

 右下は、同じ場所の現代の様子です。(館長撮影) 1999年(平11)7月、敦賀港の開港100周年を記念して、この地域で博覧会が開かれました。そのイベントの一環として、かつての「欧亜連絡国際列車」を再現した特別列車が、東京から敦賀港まで運転された時のものです。

 先の方に見えるのは、客船「ぱしふぃっくびいなす」。左下の、60年前の北日本汽船「満洲丸」と比べると、随分とスタイルは変わったものですが、このイベントの時の「ぱしふぃっくびいなす」は、やはりかつての大陸への航路を再現し、ウラジオストックへ向けて出港していきました。

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