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地域の個性があらわれた満洲の都市交通 満洲の大都市では、馬車や人力車といった伝統的交通手段のほか、もちろん市内電車やバスも人々の生活を乗せて走っていました。大連、奉天(現・瀋陽)、新京(現・長春)、ハルビンといった都市には各々、市内交通を担当する交通会社が設立され、市電やバス、また、観光バスを運行していました。 以下に紹介するのは、大連とハルビンの2都市のバス時刻表です。 時刻表から見える重工業都市の風景 大連を中心とする交通網を担当したのは、大連都市交通株式会社でした。同社は大連の中心部に限らず、関東州全域に路線を広げていました。下に紹介する郊外線の時刻表では、大連中心部の対岸にあり、電化された石炭積み込み桟橋で有名であった甘井子(かんせいし)や、日露戦争の激戦地・旅順などへの路線が運行されていたことが分かります。 この時刻表には、当時満州に各種設立されていた、「満洲石油」や「満洲化学」といった国策企業の社宅からの通勤・通学バスも掲載されています。重工業化で発展を目指した満洲、しかも港湾都市としてその一翼を担った大連の生活の息吹がうかがえるようです。 路線によっては運行回数も非常に多く、甘井子線は10分おき、旅順線は30分おきの運行でした。 |
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交通バス案内 1940(昭15)年4月 大連都市交通 91mm×60mm 二つ折 |
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左は、大連都市交通の市内電車・バス路線図。 ロータリーに欧風の街並みが感じられます。 上は、郊外線バスの時刻表より。 |
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歴史の移り変わりを映したハルビンの時刻表 下は、北満洲の中心地・ハルビンの市内電車およびバスの時刻表です。「東洋のモスコー」とも呼ばれ、かつては極東におけるロシア文化の中心地であり、1917年(大6)のロシア革命後もソ連に帰属しない白系ロシア人が居住し続ける歴史を反映し、ロシア語が併記されているのが特徴です。 一方、実質的な日本支配時代を象徴するものとして、ハルビン市内と「満蒙開拓哈爾濱訓練所」を結ぶ路線の時刻表が見られます。右上に掲載されている「満拓線」がそれです。 満洲事変以降、日本は国策として北満洲地域への移民−その目的は農業生産の拡大と辺地警備−を推進していましたが、この訓練所は、こうした移民団の先遣隊や統括者が、現地入植前に農業技術その他の指導を受けるための施設でした。 この訓練所は、『1936年(昭11)に満洲への百万戸移民案が策定されたのに伴い、哈爾濱日本国民高等学校を前身に、満洲移住協会によって設立された』と、満鉄発行の『満洲移住地視察案内』という冊子では解説されています。 |
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この裏面は市電とバスの路線図になっています。 |
電車バス運行時間表 1940(昭15)年7月 哈爾濱交通 140mm×196mm 一枚 |
関連項目 通学列車と軍用定期航空が伝える満洲の実像(日本旅行協会 大連支部、1934年) 満洲の観光バス案内(大連都市交通・奉天交通 ほか、1939年) |
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