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マンハッタンの中心、グランド・セントラル・ステーション隣接地に、パンナムビルが竣工したのは、1963年(昭38)のこと。『世界で最も経験ある航空会社』をキャッチフレーズに、世界中に路線を広げていた同社だけに、当時世界トップクラスのオフィスビルといわれた。 パンナムビルの屋上にはヘリポートが併設された。騒音や事故を懸念する反対の声があがったが、紆余曲折を経て1965年(昭40)からは、ニューヨーク・エアウェイズのバートル107型ヘリコプターにより、ケネディ国際空港のパンナム専用ターミナルと、パンナムビル屋上を結ぶ路線が開設される。 左は、その運航当時・1967年(昭42)9月のパン・アメリカン航空時刻表より。巻頭に半ページ両面で、ケネディ国際空港発着の航空便と、それに連絡するヘリの時刻が掲載されている。所要10分で、朝から夜まで一日25便が発着していた。 上はその頃にパンナムが発行した絵葉書。パンナムビル屋上にアプローチする、ニューヨーク・エアウェイズのバートル107をとらえたダイナミックなショット。 なお、パンナムビル屋上への発着は、1968年(昭43)に一旦中止された。 |
中止されていたパンナムビル屋上への発着は、1977年(昭52)に復活する。運航は同じくニューヨーク・エアウェイズながら、機材はバートル107から、シコルスキー・S61に変更となった。 これは、同年4月の日本版パンナム時刻表。前年から就航した、ボーイング747SPによる東京−ニューヨーク間ノンストップ便と、ヘリの接続が宣伝されている。 しかし、これから間もない1977年(昭52)年5月16日夕刻、パンナムビル屋上で機体が転倒。回転翼が飛散し、地上の通行人を含む5人が死亡する事故が発生する。原因は脚の金属疲労とされた。 この事故を契機に、パンナムビル屋上の定期便は消滅し、ニューヨーク・エアウェイズもやがて倒産。ヘリコプター時代は幕を閉じた。 |
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それでも、マンハッタンとケネディ国際空港間のヘリコプター・サービスは、地上の渋滞とは無縁で魅力的なものとみえ、1982年(昭57)のパンナム時刻表の裏表紙には、小型ヘリによる連絡サービスの登場が宣伝されていた。 これは、ファーストクラスおよびクリッパークラス(いわゆるビジネスクラス)の乗客へのサービスで、オムニフライト社へ運航が委託され、6人乗りヘリを使用・所要8分と書かれている。 しかし、このサービスはもはやパンナムビルに発着することはなく、60番街ヘリポートが使用された。 パン・アメリカン航空はすでにこの世に無いが、登場時には景観を損ねるとして非難も受けたパンナムビルは、現在ではメットライフ・ビルと名を変え、1960年代ニューヨークを偲ぶランドマークとなった感がある。 |
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