第2次大戦が終了し、世界には再び平和が訪れました。しかし、今度は米ソ両超大国の対立という、冷戦時代を迎えることとなります。日本は極東における、東側諸国に対する防備の最重要拠点として、特にアメリカ軍の兵力の集積地としての役割を担うこととなりました。 そうした時代、当然のことながら、アメリカ本土と極東の間を結ぶ軍用の交通機関も整備されました。それらの中には定期便として運航され、一般人が乗れないということ以外、設備やサービスもある意味普通の交通手段に近いものもありました。 身近ではありませんが、日本に関係が深く、時代の要請が生み出した特異な交通機関ということで、紹介します。 |
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1947年(昭22)発行の、米海軍の軍用空輸サービス(米軍基地間で、軍人とその関係者や貨物を輸送する部隊。定期便を運航していた。)の搭乗者向けパンフレット。ホノルル・ミッドウェーといった途中寄港地のサービスや、機内設備の案内冊子です。 右はその中から、中部太平洋のクエジェリン環礁の案内ですが、そこに添えられたイラストには、小船を漕ぐ現地住民の背後に立ち上るキノコ雲が描かれています。冷戦下の軍拡競争の中で、この地域や隣のビキニ環礁では繰り返し、核実験が行われていました。 米海軍のこの部隊"Naval Air Transport Service"(略称:NATS)の機能は間もなく空軍に移管され、"Military Air Transport Service"(略称:MATS)となりました。 |
上のように、航空機による兵員や物資輸送の定期便のほか、海上輸送の定期便もありました。1949年(昭24)年10月に米海軍が設立した"Military Sea Transportation Service"(略称:MSTS)がそれです。 これは1950年代頃に、そうした軍用定期船の船内で配布されていたと思われる、北太平洋地域の航路図です。下図の通り、米西海岸から最短で日本・沖縄・韓国を結ぶ路線が運航されていました。 日本は横浜と佐世保、韓国は釜山と仁川に寄港していました。 地図に添えられた説明文では、日韓地域に発着する米軍関係の兵力と装備の90%以上を運んでいると書かれています。 |
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