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ベルリン封鎖−米軍の機動力を支えた航空輸送部隊

物量作戦を支える輸送ネットワーク
 第2次大戦にアメリカが介入すると、新造航空機や兵員・物資を本国から戦場へ送り込むという、戦略的後方支援が重要な役割を担うこととなりました。そこで、軍は輸送航空団「Air Transport Command」(ATC)を組織してその業務を遂行し、アジアや欧州戦線の物量作戦を成功させました。
 同様の組織は海軍にも存在し、これは「Naval Air Transport Service」と呼ばれました。

空輸作戦がベルリンを救った
 戦後もATCは存続し、世界中の米軍関係施設の連絡の任にあたっていました。そうした中、1948年(昭23)にベルリン封鎖が発生します。4カ国による分割管理状態にあったベルリンで、通貨問題等から東西関係が険悪な状況となり、ソ連は西ベルリンの封鎖という挙に出ました。
 しかし、米英軍による半年以上に渡る大規模空輸作戦が、孤立した都市を救いました。ATCなどで確立されていた輸送態勢が、生活物資を絶え間なく送り込む空輸作戦を支えたのです。

日本へも乗り入れ
 ATCは海軍の輸送部隊と合流し、1948年(昭23)にMilitary Air Transport Service−略称「MATS」となりました。冷戦時代の緊張した環境の中、MATSの輸送機はアジアにおける前線基地とも言える日本にも飛来し、羽田空港や立川基地に盛んに乗り入れていました。
 ATCやMATSは軍の組織の一部ながら、軍人の移動向けに一般の航空会社のような定期便を運航していた点が特徴的で、ここに紹介するような時刻表が発行されていました。
Military Air Transport 1946/06

1946(昭21)年6月
204mm×104mm 12頁
Military Air Transport 1947/10

1947(昭22)年10月
180mm×80mm 四つ折
Military Air Transport Service 1952/08

1952(昭27)年8月
228mm×101mm 四つ折
 ATC/MATSには、大西洋地域・北米大陸地域・太平洋地域をそれぞれ主体に担当する各支部があり、アメリカと欧州やアジアを結ぶ定期便の運航を分担していました。
 上左から右へ、北米・大西洋・全支部のダイジェスト版、下左は日本に馴染み深い太平洋の各支部ものです。
Military Air Transport Service 1955/02

1955(昭30)年2月
240mm×108mm 八つ折


1952年のMATS時刻表(上段右)より。
定期路線は世界を一周する規模まで広がっていました。


Pacific Divisionの時刻表より、米本土−アジア間の定期便時刻表。「R7V」や「C-54」等は使用機種を表します。
東京の2つ上に見える、マーシャル諸島のエニウェトクは当時、核実験場として有名でした。
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